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私は確信するのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

私は確信する(2018年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

2000年スザンヌ・ヴィギエが3人の幼い子供と夫を残して忽然と姿を消した。殺人容疑は夫のジャック・ヴィギエに向けられるが、動機や証拠はなく、スザンナの遺体さえ見つからない。メディアは事件をセンセーショナルに報道し、過熱する中、2009年にジャックの殺人罪を問う裁判が始まる。

法廷劇というと訴訟国家であるアメリカを思い浮かべるが、本作はフランスで実際に起こった未解決事件「ヴィギエ事件」が題材。
ハリウッドとは一味違う、硬派な裁判サスペンスの秀作である。

ジャックの娘が息子の家庭教師で世話になったシングルマザーのノラ。
彼の家族に寄り添い、ジャックの冤罪を信じるノラは、著名な敏腕弁護士モレッティに弁護を懇願する。
ノラは自ら多忙なモレッティのアシスタントとなり、250時間にもおよぶ通話記録の分析をすることに。
そしてその通話記録からさまざまな嘘が浮かび上がっていく。
食い違いを見せる、刑事、ベビーシッター、スザンヌの愛人らの証言。
果たしてジャックは本当に罪を犯したのか?

冒頭、裁判長がこの事件を二つのヒッチコック作品に例える。
一つ目の「バルカン超特急」が示すのは完全密室犯罪の可能性であり、もう一方の「間違えられた男」が示すのは冤罪の可能性。
映画ファンならニヤリとする台詞だ。

しかし、映画は優雅で粋な演出のヒッチコック作品と全く違い、裁判の進行とその証拠集めに奔走するノラに焦点を当てる実録ドラマ調。

ハリウッド映画にありがちな通話記録から浮かび上がる過去のシーンやミスリードなどなく、裁判の経過のみを追う。

見る者は裁判にのめり込むノラと共に、事件の真実を追うこととなる。
ノラが膨大な通話記録を選り分け、分析し、文字に起こすことで、弁護側の原動力となっていくのは痛快である。
初めは膨大な記録と共に、多くの関係者が名前の文字のみで登場していくため、事件の全容をつかむのが辛いのが難点。

しかし、裁判が始まり、証人として人物が召喚されると、頭の中でパズルのピースがはまるように事件が整理されていく構成が上手い。

後半は覆る証言によって浮上するスザンヌの愛人による殺人疑惑と、裁判にのめり込むあまり仕事をクビになり、子育てもままならぬノラ自身の窮地も加わり、物語にグイグイと引き込まれる。

面白いのは事件以上に、ノラの「黙って傍観などしていられなかった」という姿勢に焦点をあてていること。
冤罪に対して意を決して立ち上がるのが、たった一人の名もなき女性。
ノラは我々庶民の正義感の代弁者であり、「なぜそこまで自分の生活を犠牲にしてまで…」と思える彼女の行動力は尊敬に値する。
彼女の強い意志に感化され、見ているこちらも熱くなっていく。
ともすれば、憶測で暴走しがちなノラを、「目的を見失うな、冷静になれ」と時折戒める弁護士モレッティの存在も物語を引き締める。
ラストに関係者全ての感情を総括する弁護士モレッティの最終弁論は感動的だ。
見る者の正義感に訴えかける硬派な興奮が味わえる秀作である。

結果的に被告は無罪。
被告の家族も9年の長きに渡る容疑から解放される。
しかし、被害者の遺体も真犯人も不明のままであると語るテロップが「これが現実なのだ」と、実話の重みをズシリと残す。
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