kensuketomita

ドライブ・マイ・カーのkensuketomitaのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
5.0
傑作。
最初から最後まで見どころしかない。
カサベテスでありブレッソン。
冒頭のベッドでの会話から50分くらいでキャストロールが始まった時点で確信した。
原作短編の精緻化の精度がすごいし、劇中劇のゴドーを待ちながら、ワーニャ叔父さん、の絡め方の精緻化が極めて精密。協力にチェルフィッチュや地点のクレジットがあるためさらに得心がゆく。
本読みを積み重ねていく劇中シーンがそのままこの映画の、狂わんばかりの錬磨につながっている。本読みで、一度情緒を削ぎ落としてから演出していくその方法は、まるでブレッソンのシネマトグラフのあり方ではないか。そしてアマプラでフェイシズが見れないのがイタイ。
余談だが台湾女優のジャニス・チャンが美しかった。
たぶんもう一度みる。


2回目みたので、備忘録。

主要な登場人物にすべて物語があり、それをすべてのよきタイミングで語りだす。それも車を軸に。

雨の音は睡眠のときに心地よく眠れる効果があって、無意識の語りを無意識に聞くことができる。車の走る音はそれと同じ効果があって、家福(西島秀俊)と高槻(岡田将生)、がOTOの話した物語について告白し、語るところはやはり秀逸だった。お前、貫通してるの?という定かではない疑惑のもと、確信を持って恋する物語の続きを話す高槻。それを聞く家福と運転手(三浦透子)。激昂しかねない場面も、なめらかな運転による車の音で無意識に語りかけられてくるようなすんなり入ってくる。

ゴドーに待ちながらに象徴されるように、これも不在の物語だ。正直この手の話は食傷気味でうんざりしているのだが、車の音、話すタイミング、現実と夢、物語の行き交いによって複雑で豊かな映像体験ができたと思う。

公園で稽古したときに起きた役者同士の奇跡、それを観客に開いたワーニャ叔父さん劇の手話、それは、テキストに耳を傾ける結果に生まれたことだった。

ちょうどよく、ジョンカサベテスのオープニングナイトを観返していたけれど、監督が敬愛するように、ドライブマイカーに通底する映画を観たようだった。
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