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ドライブ・マイ・カーのQのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

最高すぎ。邦画も捨てたもんじゃないな。韓国の協力のおかげかもしらんが。ほんとうに、マジでよかった。

第一幕は「純文学のオーディオブックに映像つけてみました〜」みたいな感じでとても映画とは思えず、こんなんがカンヌで脚本賞とるなんてクソだと思ってた。しかも一幕で出してくる純文学さがわたしの苦手な純文学さ(かなり性的なやつ)で、これが3時間は地獄だと思ってた。
純文学=性描写って偏見があったのと、性描写が個人的にかなり苦手なのと、村上春樹さんの作風があまり私の好みでなかったのが合わさったから、こんだけ一幕に拒絶出たんだろな。
でも上映開始から3、40分経ち二幕に入ってから、急にめちゃめちゃ映画になって「おお!」ってなった。文学から映画に切り替わったタイミングでクレジットタイトル(?)出してくるのもよすぎ。鳥肌立った。

映画っぽくなった第二幕でも純文学さは出してきていて、でもここで出してくる純文学さはエンタメや映画を真似たものや大衆によった小説とは格段に違う、小説の強みである語りを生かし純粋に文学を追求した みたいな純文学さだからすごく響いた。
原作小説読んだら映画みたいだと思うのかもしれんけど(まだ読んでないからわからんが)今作は映画だから、映画っぽかったとしてもそれは自然なものになる。跳ね上がるように好印象に変わったのはマイナスな印象からはじまったってのもあるかもしれんな。

三幕で家福がワーニャ伯父さんを演じるシーン、時折劇場の客席に座る観客たち映してくるのめちゃドキッてした。映画見てる自分たちが映ってんのかと思った。
映画館で見なきゃこのドキドキ感じられなかったな。映画館で見る選択してマジでよかった。

ずっと小説が好きで、小説は作者対読者の1対1の関係を生み出せるけど、映画だとどうしても制作者対大勢の観客とか、対複数になってしまうことを考えて悩んでた時期があった。でもこの映画は、役者がカメラ目線で語るから、映画対ひとりの観客という、対1の関係性を生み出せてる。笑いの生まれない静かな語りだからできることなのかも。

最近、役者が熱演する映画が鬱陶しくて見れなかったから、この映画の役者の声に感情が入ってるような入ってないような微妙なラインがすごくちょうどよかった。
二幕入ってから、役者の声から感情をなくさせた本読みのシーンをひたすら見せるのいい。一幕で妻の声に感情を感じなかったのは意図的だとわかるし、何より言葉を大切にした映画だというのがよくわかる。

多国籍の人たちが集まってそれぞれの言葉を話しながら一緒に演劇をやるのよすぎ。
沈黙とか指輪物語とか別々の国籍だったり種族だったりする者たちがひとつになって同じものを信じ闘う話が好きだからめちゃくちゃハマった。
ワーニャ叔父さんの劇中劇の内容だと、それぞれ違うが同じ人生というものと闘う人々の話に見えた。
大切な言葉は手話の子が無音で伝えるのマジでいい。

内容濃くて構成とか見せ方すごくよかった。うますぎて他の観客誰も泣いてないシーンで涙出た。こりゃカンヌで脚本賞とるわ。また見たい。

2回目 9/8
監督の愛情をものすごく感じた。
高槻を見てるとどうしても東出を連想してしまうが、そこに対する愛がしっかりあって監督すごいなと思った。
「誰かのために働かなくちゃ」という劇中劇のセリフが監督の軸にあるのが伝わってくる。
演劇祭の場所が広島にあったり、多言語演劇でさまざまな国籍の人たちが協力して一つの演劇を作り上げていたり、ラストでみさきの渡った先が韓国だったり、スタッフに韓国のチームがいたり、政治で国が揉めていたとしてもこうやって世界中の人たちが一緒になって作品つくっていけばある種の世界平和が実現するかもしれない。壮大すぎかな。

高槻が音の物語を告白した後、みさきと二人になった車でずっと開けなかったサンルーフ開けるのよかった。
閉じてた心の窓が開いた感じした。

二回目の方が一回目見たときより体感時間短かった。
性描写の刺激が強すぎて一回目ではあまり頭に入ってこなかった音の物語もちゃんと聞けた。
それができたから家福の仕草の意味も前より理解できて楽しかった。

この映画は映像的な演出がすごくいい。
でも映像がいいというのと、映像的な演出がいいというのはまったくの別物だと感じた。
個人の感覚の違いだけど、私にとっては違うというのがわかってよかった。
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