このレビューはネタバレを含みます
2021.10
気になる/検証したいことが多くあるが1番は高槻と『桐島、部活やめるってよ』の菊池の類似性。
1.高槻が語る「空っぽ」
高槻は他の役者の芝居を見て、役者同士の間に「なにか」が存在していたことを目撃する。
高槻は自分をコントロールできず、さらに自らを「空っぽ」と吐露する。
しかし、後日、「役を獲得した」ように思えるほど、家福に芝居を褒められるまでになる。
その稽古中にに現れたのが警察官。
それこそが吉田大八監督演ずる刑事だった。
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2.『桐島、部活やめるってよ』の「空っぽ」という自覚を持つ菊池
『桐島、部活やめるってよ』のエンドロールで東出昌大演ずる菊池だけ「菊池( )」 と各役に部活動が入っているところになにもなかった。
菊池は神木隆之介演ずる前田には夢中になれるもの(映画)があるが、自分には「なにもない」=「空っぽ」ということを自覚していたように思える。
終盤のシーンで前田にカメラを向けられた菊池は「俺はいいんだよ」と涙ぐむ。
自らが「空っぽでなにもない」自覚はあるが言葉にはできなかった。
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3.高槻と菊池の違い
菊池は「なにもない、空っぽ」ということは告白できなかったが、高槻は「空っぽ」と自ら告白することができた。
そこは大きく違うところだった。
自分が「空っぽ」だと他者に告白する恐怖と覚悟。それが高槻にはあった。いや、それも暴力で獲得し、自分をコントロールできるようになったのかもしれない。
高槻(≒菊池)を尋ねてくる刑事役に『桐島、部活やめるってよ』の監督である吉田大八を起用するのには意図があったということをどうしても思ってしまう。
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上記を書くにあたって、高槻役を東出昌大さんがオファーを断ったというのも見かけました。(事実はどうかはわかりませんが…)
東出さんだと、ちょっとリアリティーがありすぎてきつかったのかもしれない。
岡田将生さんの声はアクサダイレクトを思い出しましたが。笑
感情を入れずに台本を読み込むという濱口メソッドは映画の中にも登場してましたが、良く作用する一方、嵌ってしまうと危険なこともあると感じています。
(濱口メソッドの本読みを実際に体験した方からの話も聞きました。)
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