蛇らい

ドライブ・マイ・カーの蛇らいのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
3.9
原作は未読。本稿は村上春樹の文脈ではないのであしからず。

『ドライブ・マイ・カー』

このタイトルは言わずもがなThe Beatlesの『Drive My Car』に起因する。歌詞では、女性が男性に私の車の運転手にならないか?と持ちかける内容だ。『Drive My Car』とはセックスの隠語としても使われることもあり、映画の核となる、音の生み出す物語の始まりの場所としてもリンクする。

主人公の家福は、音を亡くす前に自らの子どもを亡くしている。喪失に立ち会ったときに彼はきっと、悲しむことから逃げていたはずであると容易に想像できる。映画で描かれなかった時間軸さえも立体的に浮かぶように、人物像と作劇を用意周到に操る。

自分の車を誰かに運転してもらうという行為に様々なレイヤーを持たせていることも、映画としての深みを引き出している。

車と演劇の題目が、音の存在そのものとして描かれている。運転手の見る車窓と助手席から見る車窓とでは、まるで景色が違って見えるように、誰かを通して感じる音という人物の本質、家福の過ちが車という普遍的な生活の一部の中から、ダイナミズムを孕んで描かれている。自らが思い入れのある題目を誰かに演じさせるという設定もまた、音を今まで見てこなかった、目を伏せてきた角度から見ることによって、音側からの視点にもなりうる。

車は未来から過去へ、過去から未来へ移動し、そして元の場所である今に戻ってくる。あたかもタイムトラベルのような家福とみさきの旅を、極めてウェルメイドな語り口で仕上げてみせたと言える。不倫を目撃した家福が気づかれないようにドアを閉め、タバコを吸うという一連のクールに思えるシーンが、音にとっての絶望であったという演出に、人間の存在意義さえ問う優れた演出であったと思う。
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