カイ

ドライブ・マイ・カーのカイのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

劇場で観ることが出来て良かった。文句無しで面白い映画。静かでありながら、冗長ではない。スクリーンを見つめていれば3時間、そこが自分を包む世界になる。恥ずかしながら、村上春樹の本も読んだことが無いのに、何故かこれが村上春樹の映画だと分かる。端正でフェティッシュな世界。ガラス張りの部屋、レコードプレーヤー、しなやかな肉、赤いサーブ900、高速道路、トンネル、本を繰る手、手話、海辺、燻る煙草、グラスを漂う丸い氷、カセットテープ、鍵置き、花、雪、ベケットとチェーホフ、セックス…。どれをとっても美しく、緩急自在で、重力を感じさせない心地良さ。それ故に現実的でありながら、まるで存在しない世界に見える。映画は時間を自在に扱う。流れる時間を、この映画はゆっくり、我慢強く捉える。そして、そこに役者達が命を吹き込む。音と悠介が紡ぐ物語を、高槻の冷たい眼差しを、ソーニャとエレーナのマジックを、ユンスの温かい言葉を、悠介とみさきの抱擁を、「ワーニャ伯父さん」の終幕を、きっと忘れることはない。そこにそっと石橋英子のスコアは寄り添う。実に絶妙のタイミングで。旅路の果て、映画が「死者の呪縛」を語る。家福もみさきも死者に囚われ、それでもこれから生きていく。この映画を支配しているのは音。家福も高槻も、終ぞそこからは抜け出せない事を知る。高槻が自分をもコントロールできないのとは対照的に、家福の人生はコントロールに満ちている。ルーティン、演出、そして愛車。車はプライベートスペースの最小単位だ。そこに「みさき」という異物が入り込み、物語が動き出す。時には高槻も加わり、徐々に家福の秩序は揺れ始める。その果てに、自分の本心を悟る。何故向き合うことを避けたのか。それは自分の弱さ故に。でも本当は怒り、謝りたかった。そんな告白が死者を受け入れることに繋がる。「ワーニャ伯父さん」の結末とも重なる終幕が余りに哀しく、美しい。「他人を知ることなど出来ない。ただ自分を知ることに努めるしか。」彼岸の音は悠介にとって永遠の存在となった。そんな時、彼は、人はどう生きるのか。一人、車を運転しながら考え続ける
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