ジョウ

ドライブ・マイ・カーのジョウのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

複数の物語が重層的に進行する構造なので、ちゃんと理解しようと思うと結構大変。チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を抑えてから見たほうが良さそう。

これまでの自分の強がりと弱さを認めること、言葉にしてこなかったことを言葉にしていくこと、神秘的だと思い込んでいたことを俗に落とすこと。そういう、理想の自分から離れていく、痛みを伴う変化を描いている。村上春樹は俗っぽいことを神秘的に描く人という勝手なイメージがあったので、全く逆で意外だった。家福のようにある種の失語症的な状態になっている男性は多いと思うのだけれど、そういう人がこの作品を観たときにどういう感想を持つのか気になる。

村上春樹の作品はセリフに癖があるので実写化は難しいはずだけれど、演出がすごく合っていたと思う。全体的に抑揚は控えめで、一般的な映像作品からすればセリフ回しもかなり淡々としているけれど、それが余白として活きてくる感じ。

作品全体のテーマはおそらく「声」。劇中劇が多言語で演じられること、その中に手話話者も存在すること、妻の名前が「音」であること、特定のシーンで音が消えること、言葉少なだった家福やみさきが徐々に自らについて語るようになっていくこと…。対照的なのは、ユンスが韓国手話話者の妻を広島に連れてきたことに関して「(周囲に彼女の理解者がいなくなってしまうから)自分が100人分妻の声を聴こうと思った」といった決意を語る場面と、家福がこれまで妻の声を聴いてこなかったことを懺悔する場面。

妻の音が語る話が現実にどう対応しているのか、わかるようでわからない。自分の裏切りに気付いても態度を変えない夫に逆に不安になって、自ら明かそうと決意していた、ということではあるんだろうけど。
ジョウ

ジョウ