SANKOU

ドライブ・マイ・カーのSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

濱口竜介監督は本当に臨場感のあるドラマを作るのが上手い。179分と長尺の作品だが、まさに今目の前でドラマがリアルに起こっているような緊張感が続くので、最後まで集中が途切れることなく画面に引き込まれた。
冒頭の悠介と音のセックスシーンは印象的だ。テレビドラマのシナリオライターでもある音はセックスの最中に物語を紡ぎ出す。
それは前世がヤツメウナギだったという少女が好きな男の子の部屋に侵入し、部屋から物を持ち去る代わりに自分の痕跡を残すという変わった物語だ。彼女は男の子の部屋で淫らな妄想に駈られながらもオナニーをすることだけは決してしない。
最初、悠介と音は愛人関係にあると思ったが実際は夫婦であり、そのことに何か違和感を抱いた。二人の愛はどこか冷たい。
音は役者である悠介のためにチェーホフの『ワーニャ叔父さん』のワーニャ以外の台詞を吹き込んだテープを悠介に渡す。
車を運転しながら悠介は自分の台詞を口に出す。音の声も、悠介の声もどこか抑揚を欠いたような無機質な感じがする。
物語が進むにつれて二人はまだ幼い娘を病気で亡くしたこと、そのことが二人の関係に大きな影響を及ぼしたことが分かってくる。
音は悠介を心から愛しているが、まるで彼を裏切るように他の男とセックスを繰り返す。
その現場を目撃しながらも悠介は音との関係が壊れるのを恐れて黙認してしまう。
やがて音は悠介と大事な話をしたいと言い残したまま、くも膜下出血で呆気なくこの世を去ってしまう。
妻が亡くなった後の舞台でワーニャを演じる悠介だが、途轍もない喪失感と違和感から彼はチェーホフの作品を演じることをやめてしまう。
そして彼は演出側として『ワーニャ叔父さん』を上演するためのオーディションを行う。
オーディション風景や本読みの光景は、濱口監督ならではの即興ワークショップを観ているようで面白かった。
それぞれに違う言語を用いながらも芝居として成立する。これは余程俳優の身体に台本が染み込んでいないと出来ない芸当だ。
だから俳優はひたすら感情を排して台本の台詞を読み上げることだけに集中させられる。
『ワーニャ叔父さん』の稽古が進むと、演技中の俳優同士の間に何かが生まれる瞬間が出てくる。それが何なのかは当人同士にしか分からない。例え言葉が通じなくても、人は思いを共有し合うことは出来るのだ。
しかし人はどれだけ分かり合える同士でも、相手の頭の中を100%知ることは出来ない。
そして同じように自分のことを100%人に理解してもらうのも不可能だ。
人は他人を変えることは出来ない。人に出来るのは自分自身に耳を傾け、自分の心と折り合いをつけることだけだ。
それは意外と難しい。人は大切なものを守るために自分の心に嘘をつく。
そして人は矛盾を抱えた生き物でもある。
俳優としては優秀だが自分の心をコントロール出来ない高槻が、実は一番この映画の中では自分に正直に生きているのではないかと思った。
客観的に見れば彼はモラルに欠けているところもあるが、世界との繋がりかたは人それぞれだ。
そして音に恋する高槻が、悠介も知らない音の紡ぎ出す物語の結末を知っていたというのがとても残酷だと思った。
悠介は音を愛していたし、音も悠介を愛していた。しかしその関係はゆっくりと壊れていき、最後は死が二人を完全に引き離してしまった。
娘が亡くなった後に音をこの世に繋ぎ止めていたのは、セックスのエクスタシーによって物語を紡ぎ出すということだけだった。音の心にはいつでも闇が渦巻いていた。
彼女はそれを悠介に共有してもらいたかったのだろうか。
悠介が彼女を失うことを恐れるあまり、自分の感情を抑えてしまったために、二人の関係は壊れてしまったのだろうか。
悠介は自分と同じように身内を亡くしたことによる喪失感に苦しめられているドライバーのみさきと心を通わせていく。
この二人の心理描写もとても丁寧だ。
初めは自分の車は自分で運転すると主張していた悠介。
もし自分の運転に少しでも不満を感じたならすぐに運転を代わると申し出るみさき。
発車してからしばらくすると悠介はテープをかけるようにみさきに指示をする。
彼はいつもドライブ中に亡き妻の声を聴きながら台詞の練習をしている。
この悠介の指示が、みさきの運転を認めたことの証しでもあると思った。
みさきの母親は決して彼女が誇れるような立派な人物ではなかった。
みさきの母親はまだ中学生の彼女に水商売の送り迎えをさせていた。
みさきの家は土砂崩れによって全壊してしまうが、みさきは母親が中に取り残されていることを知りながら助けを呼ばなかった。
みさきは母親を殺したのは自分だと呟く。
それは悠介も同じだった。
音に話したいことがあると言われた瞬間から、元の関係には戻れないと直感した悠介は、深夜まで帰宅出来なかった。
もし戻るのがもう少し早ければ、音は助かっていたかもしれない。
音を殺したのは自分だ。
悠介はもっと自分の心に正直になれば良かった、音をもっと真剣に叱れば良かったと後悔する。
もう一度だけ話をしたい、そんな簡単な願いが叶わずに苦しんでいる人は世の中にどれほどいるだろうと考えさせられた。
生き残った者は、常に死者の思いに縛られながら生きていかなければいけない。
高槻が殺人を犯してしまったことで、再び悠介はワーニャを舞台上で演じる。
この舞台のラストと悠介やみさきの思いがリンクする演出はさすがだと思った。
どれだけ苦しくても、そこに安らぎがなくても、人は最期の時まで生き続けなくてはならない。
ラストシーンは色々と意味深だったが、とにかく圧倒される作品だった。
村上春樹の原作は未読だったが、村上ワールドと濱口監督のエッセンスが見事に融合した映画になっており、ここ最近でも一番の感動作だったかもしれない。
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