ツクヨミ

ゴッドファーザー(最終章):マイケル・コルレオーネの最期のツクヨミのネタバレレビュー・内容・結末

1.8

このレビューはネタバレを含みます

"ゴッドファーザーpartⅢ"の再編集版としてコッポラが描きたかったものとは…
フランシス・フォード・コッポラ監督作品。午前十時の映画祭にて鑑賞、1990年に公開された"ゴッドファーザーpartⅢ"の再編集版として2021年に公開された本作は果たして再編集された作品として良くなっているのだろうか…
まずオープニング"partⅢ"ではマイケルがシチリアの復興と称しバチカンに多額を寄付したことから賞を授与されるという始まりからスタートするが、今作ではそのシーンを全てカットし"partⅢ"では中盤最初にあるバチカン大司教とマイケルの会談シーンからスタートする。マイケルがバチカンと手を組みマフィア稼業から足を洗うという展開を理解しやすくするという編集は確かに良いかもしれないが、"partⅠ"の原点回帰として一種の様式美すら感じた"partⅢ"のオープニングのほうが個人的に好みだったと言える。
そして問題はラストシーン、本編ではあまり再編集の意義が全然感じられなかったのだが最後の展開がまるっきり変わっており、個人的に大物議を醸し出した。"partⅢ"ではラストで田舎で犬に囲まれながら老いたマイケルが椅子から崩れ落ち死んだようなショットで終わるが、今作のラストでは犬に囲まれる老いたマイケルという構図は変わらないが、最後にマイケルの顔にクローズアップしマイケルがサングラスをかけて終わるのだ。これはマイケルが死なずに老後を静かに暮らすことを示唆しているし、コッポラ監督がマイケルが死ぬ描写を入れたくなかったという願望を昇華したという解釈ができる。しかし個人的にこの改変もまったくハマらず、"partⅠ"の原点回帰でヴィトーの死に様との対比が美しく悲しい"partⅢ"のラストのほうが好みだと言えるし、今作の原題は"godfather coda the death of michel corleone"なのにマイケルが最後死なないのは納得いかないという意見を持った。
結局今作は再編集版としての意義を見出せず、再編集前の"partⅢ"を際立たせるだけの作品だという印象を受けた。
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