Sanald

マ・レイニーのブラックボトムのSanaldのレビュー・感想・評価

5.0
あぁ、チャドウィックはいないのか…
その事実を突きつけられる、彼の痩せた姿。彼が出演した別な映画をこの直前に見ていたから尚更重くのしかかってくる。

作品について、ブルースの軽快さとは裏腹に、終始漂う重く、暗い雰囲気が、アメリカに根強く残る黒人差別の深刻さを物語る。
※「マ・レイニーのブラックボトムができるまで」を合わせて鑑賞することを推奨する。

奴隷解放と共に、北部へ渡った大量の黒人が地獄を見たことは日本ではあまり知られていない。たしかに、工業化に伴う雇用の増加はあったかもしれないが、白人からしても、自分が元いた土地に見知らぬ黒人が流入してくることを決して快くは思わないだろう。

南部がまだ黒人を奴隷として使っていた頃、既に北部では「自由黒人」という身分があったため、既に南部から脱出に成功していた黒人らが経済基盤を築いていた。黒人の中にも格差があったのである。
電車を降りたバンドのメンバーたちが冷たい目で見られたり、レヴィーがナンパしても相手にされなかったり、自動車の衝突事故が起こった時の野次馬だったり、コーラを買いに出かけた店だったり…
色んなところに差別が溢れていて、「肩身が狭い」とはこういうことを言うのだと思い知らされる。

マ・レイニーの高圧的な態度はせめてもの抵抗だ。黒人で女性といえば当時1番身分が低かった。(レヴィーの母のストーリーからもわかるだろう)だから、あんな態度を取ったら撃ち殺されていても不思議ではないのだが、それは彼女の才能が金づるとして有能だったから。自分の才能を盾に、プライドを守り抜く。その勇敢な姿勢には脱帽だ。

レヴィーがやっとの思いでこじ開けた地下室の扉は、開いても行き止まりだ。そびえ立つ壁の高さは、どんなに足掻いても現状が変わらない黒人差別の歴史と重なる。その事実は、現代にも引き継がれている。

トレド(だったと思う)が語る
「俺たちは残飯なんだ」という言葉は特に印象深い。
アフリカの各地から黒人を奴隷としてかき集め、「具材」としてアメリカ国内で「煮込んだ」=搾取した。でもその中にはまだ、煮込みきれていない具がある。それこそが残飯=今生きている黒人なのだと。
白人からすれば、黒人たちを搾取し尽くして存在を消してしまいたいのだ。やりきれない事実が突き刺さる。

心の拠り所として祈り続けた神さえも、自分たちには助け舟を出してくれない。希望が見いだせない、そんな現状に心が重たくなる。

日本でもBLMを疎ましい社会運動だと思っている人は少なくない。だが、それは黒人たちにとって平等な権利を勝ち取るための戦いがいかに不利で、いかに長い期間をかけてきているのかという事実を知らないから言えるのである。
アメリカ人として生きているにも限らず、顔の色だけで同じアメリカ人として接してもらえない。こんな理不尽があるだろうか?ほぼ全員が顔の色、髪の色ともに同じ日本では到底分かり得ない辛さだ。

グローバル化が進む今、他国の歴史に背を向け、自国の殻に閉じこもるだけでは生きていけない。黒人たちにのしかかる悲しい歴史を知ろうともせず、文句だけを言う人にはなりたくない。
Sanald

Sanald