止まっているのに動いているように見える。そう見える写真がある。
例えばスティーブ・マッカリーという写真家(“アフガンの少女”で有名)の『Looking East』という写真集。
アジア各国の人々のポートレート写真が集められた写真集だ。
この写真集に収録されている写真は静止画で、とある人を、固定の場所で、その時という時間で撮ったものなのだけれど、
どうも動いているように感じる。
今にも喋りだしそうだし、同じようなカタチ、表情、服装、の人々と共に生活している姿が浮かんでくる。
その人の住んでいる国が自分の住んでいる世界の延長線上にあることも意識される。
また、写真はいつも過去の一瞬を切り取ったものだが、その一瞬と居間の自分をつなぐ”時”という線も意識される。
彼ら彼女らの生きた世界の延長に自分が生きている、そんな”時の動き/流れ”も感じられる。
「優れた静止画は、想像の中で動くもの」、そう思う。
優れた映像表現も同様だ。
映像なのだけれど、その中の一瞬が非常に美しい、絵として素晴らしいシーンが多くある作品。
『時の面影(The Dig)』もそんな切り取った一瞬が非常に美しい作品だった。
実在する「サットン・フー」遺跡周辺の自然(風景と光)、
キャリー・マリガン演じるエディスの生の儚さ/死の匂い。
その一瞬一瞬が美しくて、映像が先に進んでしまうのが惜しい。
終盤、市井の考古学者バジルの口から語られる「考古学から派生する死生観」にじんわり感動する。
静かな夜に暗い部屋で観るべき、地味ではあるけれど良い作品でした。