カートラッセルクロウ

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトのカートラッセルクロウのネタバレレビュー・内容・結末

4.6

このレビューはネタバレを含みます

個人的な物語解釈
 バベルの塔(東京タワー)をモチーフにポジション0を目指す舞台少女たちの平成ライダーの如き群雄割拠を描いたテレビアニメ版。少女たちが頂上を目指すほど彼女たちの間に軋轢や蟠り、嫉妬、憎しみが生まれる。常に舞台上を意識させるシンメトリーの画構成(中心には塔やポジション0)や幾原作品から受け継がれた再生産のバンクシーンは印象深い。

 劇場版では、テレビアニメ版でスタァライトに一つの折り合いをつけたかに見えた彼女たちが再びスタァライトと向き合い、舞台を下りた半端者の自分(敗北しあるいは塔を目指すことを諦めた)に蹴りをつける。彼女たちが劇団の見学に向かう場面、一瞬映し出された東京の全景において、今まで常に画面の中心にそびえ立っていた東京タワーが画面の端に避けられていたことは、彼女たちの舞台がスタァライトから次の舞台に移りつつあることを示唆していた。しかし彼女たちはスタァライトの敗北者。一つの舞台を完走できなかった半端者。このような中途半端な状態で次の舞台に向かい歩を進めた先に待つもの、それは舞台少女の「死」である。このまま列車が進んでもそれはいずれ脱線するだけ。彼女たちは各々のスタァライトに蹴りをつける必要があった。それは勝者の華恋も舞台の演出家ばななも例外ではない。

 劇場版では「テレビアニメ版は序章でしかなかったのか?」と思わせるほどのラディカルな演出のもと、レヴューを通じて彼女たちのアイデンティティが抉られ、暴かれ、曝け出される。彼女たちもまた互いが互いを徹底的に潰し合う。まさに「皆殺し」である。しかし刃を交える中で真に全てを分かち合ったからこそ、彼女たちは互いを認め合い、新たな「再生産」へと向かう。舞台少女は日々進化する。二項対立的な位置関係は溶け合い止揚へ向かう。レヴューの象徴であった塔の崩壊は一つの舞台の終幕を意味する。彼女たちが目指した塔もまた舞台少女たちを輝かせるための贄であったのだろう(キリンはその象徴的存在)。

またテレビアニメ版ではあまり描かれなかった華恋自身のバックグラウンドも劇場版では丁寧に描かれた。彼女の舞台少女としての動機はひかりとの関係性ありきであり、それは唯一無二を目指す舞台少女としては弱さであり欠陥である。劇場版はそんな彼女の矛盾したあり方をも抉り暴け出し、「レヴュースタァライトの主人公」の華恋をちゃんと描ききった。

 
 本作で何よりも目を見張るのは演出面。人だけでなく舞台も運動するカオスでありながら、構図は常に統率された美しさを放っていた。ダブに歌謡にロックと攻めた音作りに鋭利な音響もまた舞台を大いに盛り立てる。仁義なき戦いにトラック野郎や無責任シリーズをはじめとした多くの作品へのオマージュに加え、監督が影響を受けたであろうイクニ作品やガイナックス作品の影響も色濃く反映されている。本作の持つ演出面での過剰さは、全てを曝け出しぶつかり合う少女たちの熱量を表現するための一つの装置。少女たちの感情を乗せた過剰な演出がぶつかり合い生じる爆発こそ本作最大の魅力だ。視覚聴覚が麻痺するエンタメ作品なので是非試聴の際は大画面爆音で。