音楽を信じるか?
と問われても、簡単には答えられない。
もちろん、音楽は素晴らしいし、音楽に救われた人間だと思っているので、自分にとってはかけがえのない、大切な、出会うために生まれてきたとすら思える、人生の大事な最大の要素のひとつだけれど、必ずしも全ての人間がそうではないということぐらいはわかる。
音楽が人を救うことに疑いはないが、世界は救わない、ということも知っている。
それでも音楽を信じる、信じたい、という人は多くいて、それは一種の信仰のようなモノで、わからない人にはわからないでいいモノであって、強要するべきじゃない。
この映画は、あくまでも音楽を信じたい人のための映画であって、映像と、アニメーション表現を信じたい人のための作品であって、物語を信じたい人に向けられたモノじゃない。
俺は物語も信じたい人間だが、その意味ではこのストーリーから信じ得る物語は感じられなかった。
とにかく、映像美、アニメーション表現の美しさには確かに圧倒される。
キラキラした世界に引き込まれる。
どこにでもいる少女が飛び出す、飛躍する瞬間を描くことのカタルシスは開放感に満ちている。
しかし、なにより増して素晴らしいのは中村佳穂に他ならない。
もう有無を言わさず持っていかれる。
世界に引き込まれる。
歌姫、というイメージを担わされているため、ストレートな歌唱を求められていた部分はあろうが、そこはかとなくファンキーさの匂う感じがたまらなく痺れる。
その意味では、常田大希の曲はなかなかに素敵なのだが、もう少し黒っぽく仕立てても良かったのでは?と思わなくもない。
日本のマーケットではこれくらいがちょうどいいのはわかるが、監督はディズニーがやりたかったんじゃないのか?
俺はそう感じたのだが。
だとするならば、グローバルマーケットをもう少し意識して、もうちょっとだけリズムに寄った音にしても良かったように思った。
これは作曲の問題ではなく、Belleのヴィジュアルからくる拘束なのだろうと推測する。
フェミニンな要素を押し出した歌姫像は、やや古臭く感じた。
いや、決定的に足りないのは、そう、ダンスだ。
なぜ踊らないのだ?
いずれにしても、この映画は中村佳穂だ。
いいシンガーだ。
そこにあの映像が合わさったら、そりゃあ、涙が流れるのは必定というやつだ。
アラの多いストーリーだが、あの映像、あの歌の力を見せつけられたら、そりゃ感動せざるを得ないわな。
ただ、それは俺が音楽を信じる側の人間だから、に過ぎないのかもしれない。
まあ、ストーリーのアラはこの際いい。
ダンスだよ。
踊れる映画にして欲しかった。
そしたら手放しで最高!って言えたのに。