Torichock

狂猿のTorichockのレビュー・感想・評価

狂猿(2021年製作の映画)
3.9
「狂猿」

ねっきょう【熱狂】
ー 血をわきたたせ、狂わんばかりに夢中になること。 「人を―に導く」

プロレスって不思議なエンターテイメントと思っていて、例えどんなにかっこよくても、例えどんなに強くても、それだけでは生き残ってはいけなくて。
100連敗してても、1つの勝ちがお客様の心を掴めば、それはもう選手として【勝ち】
100連勝して無敗記録を持っていても、1つの試合も心を掴めていないのなら【負け】
他の競技とは全く色が違う。

勝ちと負けがはっきりしているスポーツは確かに分かりやすくて、それはそれでめちゃくちゃ存在価値がある、努力と才能と魂を"ぶつけ合う"ような。
ただ、努力と才能と魂を"魅せ合う"のがプロレスだとしたのなら、僕はやはり後者の方に魅力を感じてしまう。

その昔、武藤敬司🐻選手が、「アマチュア(競技)は勝ち負けに拘っていれば良いけど、プロは娯楽性も考えなきゃいけないから」「お客を呼べて、チケットとグッズ売って、また来てもらってなんぼの世界」と言っていた。

勝ち負けを超えた渦にお客様の心を巻き込み、【熱狂】させるのが良いプロレスラーなんだと思う。

葛西純選手のプロレスは、誰がどう見ても分かる。
【熱狂】している。
「痛々しい、バカみたい、なんのために?」
もしかしたら、デスマッチを怪訝に観てしまう人はそう思ってしまうだろう。だけど、その渦のうねりを見れば分かると思う。
そりゃ、その通りだと思うところは多分にある。でも、それでもやるという美学の話なんじゃないかな?と。
【狂】っていうのは、人の心を揺すぶる何かなんだよ。

映画を観ている間、【命】をずっと感じていた。
それは血を流し、肉を切ってるからそう感じるんじゃなくて、人はいつ死ぬかわからないってこと。それすなわち、生きてるって実感をいつ感じるか?ってこと。

生活=生きてる
であっても、
生きてる実感=生活ではない。

もし葛西純選手が【熱狂】を生きている実感と思っていたらと考えながら見ていると、涙が出てきた。

「ルール上、今は声を出しちゃいけない。(観客は声を出しての応援は禁止されている)だけどおれっちは、思わず声が出てしまうようなプロレスをしたいんだよ。だから今は、ずっと負け続けてる気がする。」
というようなことを言っていた。

僕がプロレスや葛西選手、いやエンターテイメントを見て感じる【熱狂】が、早くエンターテイナーの「生きてる実感」にダイレクトに繋がるような、そんな日常が来ることを祈ってやまないです。

終演後のサイン会で、葛西選手に
「【命】の匂いを感じました。ありがとうございました。」と伝えたら、
「共に強く、【命】を生きていきましょう」
と言っていただいた。


最高にカッコよかった。
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