えぬ

アポロンの地獄のえぬのネタバレレビュー・内容・結末

アポロンの地獄(1967年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

テイレシアス絶対若い頃かっこよかったと思う。オイデプス役アラン・ドロンだったらよかったのに…現実にもつながるよ〜って冒頭と結末があるらしいけど、そこまで必要だったのか分からないな。先生の解説おもろ〜っていつも思う。

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時間と空間が連続する一連のシークエンス
・虫の音→夏、音楽→女性の表情の変化
・カメラのスクロール→四方を囲む木々、円を描くかのようなカメラ、そこに置き去りにされるオイデプス→今後の暗示
・ナレーション:イオカステの愛がオイデプスに奪われた(ナレーション)、ライオスにとってオイデプスは恋敵、もはや息子ではない(信託ではなく自らの意思で)→人間の意思である
・快楽で与えられる愛と母親のもつ愛のちがい
・羊飼いと兵士のカメラ→ドキュメンタリー的なカメラワーク、一人称視点と二人称視点しか存在しないけど誰のものかはブレる(双数形)
・プライドが高くズル賢くなったオイデプス
・現代から古代へ→連続している、運命でなく意志の話→私たちにも起こりうる

・オイデプスと向き合ってる人がいるかのような視線→透明な二人称、オイデプスが分裂(見られる/見る)
・神託で世界が違って見える
・手首噛む→悔しい?
・プライドの高いオイデプスは「物乞い」と言われて殺す〜!と決めた(残酷なオイデプス→プライドを傷つけられたとき)
・謎を拒否(自分の人生の謎)→自分の人生が自分のものではなくなってしまう
・オイデプスはプライドを傷つけられた(自分の人生なのに〜!!!)(お前の中に闇がある)

・セリフがない(観客の緊張)(虫の音に集中させる)→冒頭と今との対比、近親相姦
・3つのショット→女性の表情(嘲笑う)=観客の鏡、観客の視線と女性の視線が交差してどちらのものかわからなくなる
・知ろうとすれば存在し、知ろうとしなければ存在しない→罪→オイデプスへの救済
・テイレシアスとオイデプスの邂逅2回目→オイデプスの口調に遠慮がなくなる、イオカステ気づく、アンジェラが笛を吹き始めるのはクレオンにまで疑いを、オイデプス自身が富と権力に、結婚はご存じない(愛を傷つけられた)と言われてついにはオイデプスは暴力に
・イオカステはだからどうしたって笑い

・冒頭のライオスとの対比
・青の服めちゃくちゃいいな
・クレオンはオイデプスに代わる唯一の人間
→クレオン:王座(責任を持つこと)はそんないいものじゃないじゃん
・イオカステはオイデプスに選択させることであえて自分を選んでほしかった(愛してもらいたいから選択肢を渡した)
・イオカステはオイデプスの告白と罪が明らかになることへ怯え
・イオカステは自分を愛してくれなかったため
・運命ではなく、意志
・イオカステが邪悪(何を思うかわからないから)

・この話で重要なのは"意志"
→けど同じ話をたどる。運命と意志の違いは?(ちょっとよくわからない)
→自由だとはどういうこと?
・イオカステの闇が自由意志の闇
・オイデプスの笛は運命をこえるものの笛
・普通のイタリアの人たち
・冒頭と同じ音楽
→繰り返される
・人生は始まった場所で終わる

・手を噛む
→悔しい(特に最後の場面から)
→映されたイタリアの風景は本来オイデプスが目にできたはずのもの、でも今は見えない
=所有できたものを奪われたときに悔しさと怒りを
→自分の人生〜っていう気分を傷つけられるから
・誰の視点かわからないカメラワーク
→自由間接主観ショットとパゾリーニは呼ぶ
→選択肢があるときにこれがでてくる
→別の選択肢を選べたはずなのに=悔しさのタイミング
・このターニングポイント=意志=AかBかの選択肢を選べるって考えること
→ただ過去を見ると別の選択肢を選べたと思うかもだけど、それをできるかはわからない
・意志を持ってるって思う理由は?
→それは起こってから
・自由意志は自分の意志でありながら自分が手に入れることができないもの
・自由は手に入れられないってことでしか考えることができない

・映画もおなじくわたしたちが介入できないもの
えぬ

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