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アメリカン・ユートピアのnetfilmsのレビュー・感想・評価

アメリカン・ユートピア(2020年製作の映画)
4.4
 スパイク・リーの『ブラック・クランズマン』のラストには物語とはまったく関係ない当時のドナルド・トランプ政権の欺瞞を暴き立てるような映像が矢継ぎ早にモンタージュされ、個人的には何もそこまでと思ったのも事実である。そこにはスパイク・リーのトランプ政権への強い憤りと憎悪の感情に満ちていた。今作はデヴィッド・バーンから友人だったスパイク・リーに対して映画化の話が持ち込まれたという。すぐに『アメリカン・ユートピア』のステージを観たリーはライブ・フッテージを出来るだけアレンジせずに、数台のカメラの動きだけでシンプルに撮ることを思い付く。デヴィッド・バーンにはご存じの通り、ジョナサン・デミの『ストップ・メイキング・センス』という傑作ライブ映画があるのだが、あれから35年を経て、彼の世界観はよりミニマルに研ぎ澄まされ、余計な雑味がほとんど感じられない。デヴィッド・バーンと彼を取り囲むように集められた総勢11名のメンバーたちは、正面以外をグレーのカーテンに囲まれた平場に全員が土足で立ち、演奏するのだ。ここではデヴィッド・バーンと他の演奏家たちに明確な主従関係がない。さながらマーチング・バンドのような緩やかな隊列を為した12人のパフォーマーたちはそれぞれが無軌道な動きを繰り返しているように見えて、数学的な緻密な動きをしながら楽曲を演奏していく。そこにこのライブの凄みがある。

 通常のライブならば、演奏者の後ろにギターやベースのアンプがうず高く積まれたり、堅牢なドラム・セットはバンドの一番後ろにどっしりと腰を落ち着けてリズムをキープするのだが、本バンドでは小太鼓の演奏者のように一人一人が様々な大きさの太鼓を担ぎ、緩やかにフォーメーションを変えながら演奏する。更に信じられないことに、ここには電気化したコード類やラップトップの類がどこにも見られないのだ。演奏者たちはそれぞれに様々な楽器を持ち換えながらも、現代的な音響装置やアンプには頼らず、原始的な演奏を聞かせる。お揃いのグレーのスーツに身を包んだ楽団のメンバーはヘッドセットマイクをしながら演奏し、踊り、時にはデヴィッド・バーンの声に更に声を足していく。そのアンサンブルは実にシンプルでありながら、力強い。トーキング・ヘッズ時代の傑作『リメイン・イン・ライト』ではアバンギャルドなニュー・ウェーヴにアフリカの民族音楽のエッセンスを融合し、誰も聴いたこともないようなサウンドを確立したが、今作でもゲイや黒人ダンサーやブラジル人パーカッション奏者など文字通り人種・国籍関係なく、様々な人々を集めることで見事なサウンド・スケープを築くのだ。曲間には彼特有のエスプリの利いた言葉で科学・政治・文化・バンドの成り立ちや人種差別の話が盛り込まれ、脳が活性化する。ステージ上の見えない隊列は我々が出会い、すれ違う他者のようにも見える。さながらここは人生の縮図で、人間交差点であり祝祭空間なのだ。

 最も信じられないのは、今年69歳を迎えるデヴィッド・バーンの奇跡的な若さについてだろう。高音の伸びや声の艶はトーキング・ヘッズ時代を凌ぐなどと言っても決して大袈裟ではないし、背筋はピンと伸び、顔の張りや血色の色艶はその辺の白人の比ではなくひたすら節制されている。その秘密の一端はエンドロールで明かされるのだけど、貪欲さとアクティブな行動こそが若さの秘訣なのだろう。トーキング・ヘッズ時代の往年の名曲なども多数飛び出すが、ハイライトとなるのはジャネール・モネイの『Hell You Talmbout』のカヴァーで、若くして命を奪われた黒人たちの名前を連呼する場面に違いない。スパイク・リーの十八番と言わんばかりの生年月日・死亡日が記された遺影写真の挿入は、不寛容な時代に人種の枠を超え、連帯することの意義を叫ぶのだ。デヴィッド・バーンと仲間たちとのその実直な振る舞いに不覚にも涙が溢れる。スパイク・リーの過激なトーンが抑え込まれた見事なライブ・エンターテイメントに、コロナ禍ですっかり奪われた音楽を浴びることの尊さをまざまざと思い起させてくれる。
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