幽斎

CUBE 一度入ったら、最後の幽斎のレビュー・感想・評価

CUBE 一度入ったら、最後(2021年製作の映画)
1.0
恒例のシリーズ時系列
1997年 5.0 CUBE ソリッド・シチュエーションスリラーの最高傑作
2002年 3.8 CUBE 2: HYPERCUBE 正式な続編、そんなにダメとも思わない
2004年 4.0 CUBE ZERO オリジナルの前日譜、普通に面白いけど
2021年 1.0 CUBE一度入ったら、最後 本作、公認?リメイク

見よ!この死屍累累の数々を(笑)。
1997年デス・キューブ ヒットを受け急遽改題した最初のパチモン
1998年CUBE IQ 邦題だけ勝手にマネた普通のB級作品
2007年キューブRED フェルマーの定理を説うサスペンス、意外と面白い
2008年CUBE HOSPITAL 精神病院を舞台とした普通の刑事ドラマ
2008年CUBEハザードX オリジナルと無関係の残酷ホラー
2014年ザ・キューブ ファイナル・トラップ 詐欺レベルの駄作
2018年キューブ:ホワイト レビュー済(笑)、謎の立方体が出てこない

私が年間一本だけ邦画をレビュー、今年はこの作品。そもそも邦画とスリラーは相性がとても悪い。ミステリー小説は決して日本は英米に遅れてるとは思わない。単に言語のハンデが有るだけ。しかし、邦画と言うのはどんな作品にも「絆」を持ち出して与えられた人間には希望が齎される。イヤミスって言葉知らないの?(笑)。ハリウッドは脳内お花畑は全てディズニー任せ、自分達が創りたいモノを作る。MOVIX京都で鑑賞。

生みの親Vincenzo Natali監督は、元は建築デザイナー。傍らアニメーション・スタジオで働き、傍ら短編映画を創り「ELEVATED」を見たカナダの制作会社が「君のアレ!凄く良いじゃない。ウチで長編を創ってくれないか」懇願されたので(笑)、出来たのが「CUBE」。劇場公開された時は話題に成らなかったが、ビデオ化され世界中で中毒者が続出。アメリカの大学教授がテレビで素数トラップ説、デカルト座標説、因数説と「仮説」として議論白熱。答えは建築系〇列〇動説が正しいんだけどね。

「Natali監督がクリエイティブ協力」と言う日本語も変、それは単なる原案者に過ぎない。現に本作は「公認リメイク」と言うアメリカ人に説明するのに、適した英語が見つからない謎エディション。それを言うなら「正式リメイク」が正しい。しつこいけど正式リメイク以外は、非正式リメイクしか無い訳で、それは上記で紹介したパチモン達と何ら変わらない。お金を払って権利を使用してるだけなのに、日本の3大メジャーの松竹が何の疑問も持たず、ド派手に宣伝してるのは可笑しいを通り越して恥ずかしい。舶来品を有り難がるのは、父親世代で終わりにして欲しい。

【ネタバレ】オリジナルを鑑賞済の方は、このままお進み下さい【閲覧注意!】

オリジナルはキューブの内側のみで完結、黒幕から中に居る人への接触は一切描かれる事は無い。「CUBE2」は時間を超越する4次元に進化。管理する組織が「IZON」民間企業と判明、参加者の1人がIZON側だとラストで明かされるが、将軍に射殺され国家的な巨大計画と分る。「CUBE ZERO」被験者は記憶を消去され実験に参加するが、IZONも反政府の活動家を実験と言う建前で殺害する。技師は組織に反旗を翻すが、被験者を免れた囚人だと分かり、記憶を消された上でキューブに入れられ、オリジナルにリンクする。文字で要約しても、とても良く出来たシリーズと判る。

日本版「CUBE」は甲斐と言うアンドロイドが「被験者」に紛れ込んで積極的に接触、ある種の目的を匂わせる。基本的にはオリジナルよりも「CUBE2」のプロットを拝借したスタイルだが、違うのは中学生の宇野がキューブの出口に辿り着くが、ラストで彼の窮地を救ったのは甲斐。キューブの謎を解く役目はエンジニアの後藤にシフトしたので、攻略と言う意味では宇野の存在は必要なく、積極的に救出する必然性も感じない。「黒幕」には宇野の死は望ましくないモノだと推察できる。

全て甲斐の介入とする考察は可能だが、彼女がオリジナルと同じ目的を持った実験か?、単独かは本編だけでは読み取れない。例えば後藤と安東の分断、素数を含まない部屋の罠の理由、キューブに残された後藤、生還した宇野、同じ実験を再起動した甲斐。続編を匂わす終わり方だが、一番肝心な事が描かれない。それは日本で秘密裏にこんな壮大な実験が出来るのか?。アメリカ政府の陰謀論だとしても無理筋が過ぎない?。

どうしても納得逝かないのは劇中の台詞の数々。例えば「もう時間がない!急いで!」とか幾ら私が邦画を見ない、ドラマを見ないからと言って、今時こんな台詞回しを大作で、そのまま垂れ流してる事に腹が立つ。何を言ってるか分らない方は、地上波のドラマに毒されてる。映画と舞台とテレビは其々台詞回しとか、演出ステージが異なるので替えるのが当たり前。監督や脚本家がどんなキャリアなのか、調べる気にも為らないが、ハリウッドではリメイクを「Adaptation」と言いますが、翻案の流れが完全に昭和のテレビドラマ、それを名作「CUBE」で行う無神経、そりゃ酷評されるのも当然よ。

百歩、いや千歩譲ってオリジナルを日本人だけで作るのは、相応の意味は有る。圧倒的に日本人はオリジナルを知らないから「ルールに則って」創れば面白いのは当たり前、ソレきっかけで洋画にも目を向けて貰えたらファンとしては素直に嬉しい。しかし、本作は「CUBE」で厳格に定められたルールを異とも簡単に改変してる。アメリカの大学教授が真剣に考える程、理数学的なコンポジョンが整う稀有な作品。計算式とか論理的な思考からは決して逸脱しない。

それは皆さんが叩く続編2本にも引き継がれる。私は続編も前日譜も普通に面白いスリラーだと思うが、ソレは「CUBE」を規範した上で、ルールの中に閉じ込められた被験者が右往左往するから面白い訳で、その一丁目一番地を改変した時点で、もう「CUBE」じゃない。なぜルールが厳格に定められるか、それはルール外に出れば被験者は「死ぬ」から。しかし、本作では途中でルールが変わっても誰も自分の死に直結する筈が其の事に言及しない。監督と脚本家の力量不足を自己都合で変えてしまう。本作には「毀誉褒貶」すら似つかわしくない。

邦画に詳しい方にお聞きしたいが、エンドロールの主題歌。星野源のオリジナル「Cube」、アレで合ってるの?(私には場違い感しか無かったけど)。日本のテレビドラマはSFは得意ジャンルだった。私が好きなのは「怪奇大作戦」特に「京都買います」良かったなぁ、京都だけに(笑)。「ゴジラ」も怪獣映画と云うよりも放射能に汚染された地球と言う、崇高なテーマが原爆を落としたアメリカ人の心を打ち、今でもリメイクが創られる。「復活の日」なんて今のCOVIDとウクライナ紛争を纏めて予言した傑作。今の日本の映画会社には日本人の書いたSFを映画化する気概すら失い、スポンサーの顔ばかり気にして20年以上前の洋画をリメイク。日本人のプライドは何処に消えたのか?。

エンドロールを見ながら「帰りに何食べようかな」と考えてた時、ふと知ってる名前が。「Kyle Cooper」ハリウッドを代表するコンセプト・デザイナー(アート・ディレクターとは違う)。代表作「スパイダーマン」「ミッション:インポッシブル」シリーズ。本作ではオープニングとキューブのコンセプトデザインを担当。コレは私の解釈ですが、オリジナルは大きな機械時計の内部の構造、それが人と社会の歯車を意味してた。「CUBE2」は真っ白な近未来デザイン、これは社会逃避と脳内迷宮。「CUBE ZERO」は武骨なプロトタイプ、封建主義とか官僚体制への皮肉と見た。

本作では「意図的に」セットのサイズが小さく、役者の芝居ばかりが際立つ設定。其処に人気俳優は居るが何れも個性に乏しいので、単純に日本人同士で罵ったりいがみ合うだけ。しかし、キューブが狭いのは決して松竹がケチった訳では無く、日本家屋が元来どれも同じで狭い家、其処にシリーズとは違う単一民族だけ、狭い国土の日本と重なり合う。デザイン的には空虚な曼荼羅をイメージしたかも知れないが、COVIDで委縮した人との疎外感を表してる様に感じた。依って本作は0点は免れた。

洋画ファンが邦画を扱き下ろせばイイってモンじゃ無い事は承知してる。ですが、Filmarksのライバル「KINENOTE」に、映画文化論で有名な古賀重樹氏が「演出が古典性を帯びて、作中の社会性が映画を凡庸なものにしてる。結果として登場人物はどれもステレオタイプ、全く深みを感じられない」とコメント。映画監督井上淳一氏も「本作に関わった人達は、これを本気で面白いと思ったの? 誰も何も言わなかったの? その事自体に映画愛を疑う」とコメント。KINENOTEはご存じの通りキネマ旬報社が運営。御用雑誌が此処まで言うのは私にはとても良く分る。

これが日本映画の限界、危険水域を誰も認識してない。柄本時生、君だけは良かった(笑)。
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