るるびっち

CUBE 一度入ったら、最後のるるびっちのレビュー・感想・評価

CUBE 一度入ったら、最後(2021年製作の映画)
3.3
邦画の呪いか祝福か?
日本のドラマは、よく人物の幼少期の虐待とかトラウマが現れる。
サスペンス映画にそんなもの不要だが、何故かそうする。
怖がらせるより感動させたいのだろうか?
サスペンスに人情ドラマの方程式を持ってくる。
これはミステリーでも同じで、崖の上で犯人の生い立ちの不幸を長々語って泣かせたりする。推理物に人情を持ち込むのが日本式。

これは一つには、脚本家が洗脳されているせいだと思う。
脚本学校で、人物の履歴書を書けと習うらしい。
登場人物の環境や幼少期からの出来事などを書きだすのだ。
川島雄三監督が脚本家に、主人公の祖母まで考えろと言ったエピソードがある。
しかし履歴書を作れば、大抵不幸な境遇にしがちだ。
普通に平和に育ったのでは面白くないから。
テーマと絡んでいるなら良いが、無関係なら要らない。
 
そういった呪縛から日本の映画製作者は逃れられない。
履歴書というキューブに閉じ込められているのは、製作者たちだ。
一生キューブから出られないのじゃないか?
邦画の呪いである。

何の目的で閉じ込めているのか? 何がしたいのか? 全く謎の不条理がこの設定の魅力だろう。
人生とは不条理なものであり、不条理をテーマとして視覚化している。「トラウマを乗り越えれば人生が開ける」というテーマではない。
不条理をテーマとするなら、トラウマ克服の人間ドラマはテーマと反している。
それが解っていないなら、全く呪われている。
しかし人情ドラマ好きの日本の観客には合っているというなら、この方式は祝福である。いかがだろうか?

オリジナルでは、我の強い奴が調和を乱し悲劇が起こる。
海外では、個人主義な連中がトラブルを巻き起こすのだ。
だが日本の悲劇はむしろ逆ではないか。
同調圧力で、正しい選択ができない悲劇があると思う。
本当は子供達は可哀想だからマスクを取っても良いと思うが、感染が広がるという同調圧力で、いつまで経っても取れない。
マスクに大した効力はないと思っても、同調圧力に屈してしまう。
何が正しいかは難しいし、正しいことより和を乱さないことの方に神経を使ってしまう。

だから菅田将暉だけが本当は正しいことを言うが、斎藤工の威圧や同調圧力に屈して、解っているのにどんどん悪い方向へ行くような作りなら日本人の特徴が出て面白かったかも知れない。
八甲田山の遭難や、太平洋戦争の辞め時を逸した話など。
間違った方向に進んでいると気付いても、言い出せないまま大悲劇に突進する事例が多い。
同調圧力こそ日本人の呪いである。

『沈没船ジョーク』というのがある。
沈没船でボートが足りない。
船長が各国の人を、海に飛び込ませるために放った言葉とは?
アメリカ人に対して・・・「飛び込めばヒーローになれますよ」
ロシア人に対して・・・「海にウォッカのビンが流れてますよ」
イタリア人に対して・・・「海で美女が泳いでいますよ」
フランス人に対して・・・「決して海には飛び込まないで下さい」
イギリス人に対して・・・「紳士はこういう時、飛び込むものです」
ドイツ人に対して・・・「規則ですので海に飛び込んでください」
中国人に対して・・・「おいしい食材(魚)が泳いでますよ」
日本人に対して・・・「皆さんは、もう飛び込みましたよ!!」
まさに日本人は、このキューブ(呪い)から抜け出せないのである。
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