高速シンカー

ひらいての高速シンカーのネタバレレビュー・内容・結末

ひらいて(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

多様性の尊重が社会的に言われますが、本作ほどその真価について理解させてくれる作品はないと思います。自己本位的で底意地が悪く、他人を踏み台にすることに何ら躊躇のない人間など、普通関わりたくはありません。本作でいうヒロインがそれにあたりますが、その性格の悪さ故に、優等生的な人間が越えられない一線を平然と容赦なく、そして全く罪悪感なく越えられることができるのです。終盤で、あのお父さんを何言ってんだこいつとぶん殴るシーンがそれに当たります。思いやりの欠如、暴力、後先考えない衝動的な行動、これらは基本的に奨励されていません。そのため、ヒロインがお父さんをぶん殴ったことは、褒められた行為とは言えません。ただし、全く話の通じないクソ野郎に対しても、紳士的な穏便な対応に終始しては事態が好転することはありません。相手が増徴する一方です。だからそういうクソ野郎に対しては、もはや思いやりという人道的な心を捨てて、肉体的にわからせるという意味で暴力に走っても、仕方がない側面はあるように思います。しかしながら、優等生であると、なかなかこの思いやりが捨てられなかったり、暴力を躊躇してしまったり、その先の、暴力を振るった後の後始末を考えたりして、結局現状維持を可能性が高いです。世間一般的に正しいとされる、他者への思いやり、非暴力、長い目で見た行動決定、等々がここでは完全に仇となります。面白いのは、ヒロインはこれらの一般的な正しさをどれも持ち合わせていないところです。そのため、あっさりと親父をぶん殴り、全く以って罪悪感を感じずにいられるわけです。
ここにきて、最後に手紙を送った本心が想像されます。彼女は、ヒロインの性格の悪さ故に、具体的に言えば、他者への思いやりがなく、暴力にも躊躇いがなく、後先考えずに行動するような、あまり褒められた性格でなかったが故に救われたわけです。勝手な想像ですが、これは彼女にとって相当な衝撃だったように思います。いくら相手がまともでないからと言っても、ぶん殴って解決するなんて選択肢は恐らく頭にはなかったはずで、同時にそのような決然とした行動に出るだけの勇気もなかったはずです。ヒロインは、そういう彼女にはない要素を持っていたと言えます。
世の中、正論だけで切り抜けていくのは困難です。正論とは要するに優等生的な発想です。論理的である一方で、相手に聞く気がなければいくら必死になっても伝わりません。そこに、本作のヒロインのような、思いやりのなさによってズケズケと踏み込んでいく人間の重要さが痛感されます。なぜ色んな性格の人がいるべきなのか、という命題についてそういう意味では、本作はとても納得させてくれます。
余談ですが、本作を見ると、カフカの小説にはこういうヒロインが一人でもいれば全部解決するんだろうなと思わされました。話の聞く気のない腐った連中全てには、言葉での解決ではなく、直接的な解決こそ有効なのだと思います(とは言え、あの作品の登場人物は殴ったところで大して効き目がなさそうな気もしますが)。
まとめると、本作はヒロインの性格の悪さが結果的に彼女を救うことになったという構図に泥臭い面白さが集約されていると思いました。聖人とは真逆の俗悪な性格が、人の心を軽くしたり、救うこともあるわけです。案外、こんな塩梅の作品を見たことがなかったので、あまり期待して見ていなかった反動か相当楽しく見れた作品でした。
原作を忠実に再現したという話もありますが、映画の場合、実は手紙とお父さんを殴るシーンの順番を原作とは入れ替えているという、些細なようでかなり大きめのアレンジを加えているのです。この違いは、メッセージの意図がほとんど正反対になるほどの大きな変更点だと思います。原作では、彼女から感謝の手紙をもらったために、ある種の恩返しとして、訳わからないことを言う親父をぶん殴ったような展開で、言い換えれば、ヒロインに人道的な心が芽生えたから殴ったという意味に取れるわけです。反対に映画では、再三繰り返したように、ヒロインの性格の悪さの体現として殴っています。そして、その性格の悪さに救われたことで、彼女は感謝の手紙を送るのです。原作では、ほとんどチープな、性格の悪い奴が優等生的な女の子の情にほだされてやや心を改めるというやや冷める展開であるのに対して、ただ場面を入れ替えただけにも関わらずメッセージ的新奇さを打ち出す映画の展開は、目の付け所としてすごいとしか言えないと思います。ですから、あくまで原作を準拠にしていますが、メッセージ的に原作とは似て非なる作品と考えて良いと思います。
作品全体で、映画的にドーン!、といような印象的場面は少なく、基本的に地味な場面の連続です。一応、軽い同性愛の場面は目を釘付けにされるところですが、それくらいだった記憶です。ですが、なんだかんだ2時間の間退屈することなく楽しめる作品になっています。断定はできませんが、その一つの要因として、ヒロインの口悪さや性格の悪さが、我々をいい意味で呆れさせてくれるからかなとも思いました。そしてその呆れるくらいの性格の悪さが最終的に、ある意味伏線として、あの親父をぶん殴るシーンの回収になっているというのが、本作の感動にも繋がっている気がします。
議員が居眠りをしてけしからんというニュースが時折されますが、私的にはそれを見ると、血税云々以前に、自分も多少は業務中でも力を抜いても許されるのかなと若干ですが気が軽くなります。ある種本作の伝えるニュアンスは、それと底通するものを感じました。関係ないですが、劇場で見た当時、冒頭のダンスシーンで即刻席から立ち去り二度と戻らなかった人がいたことを思い出しました。会場を間違えたのか、もう冒頭で挫折したのか、真相は藪の中になっています。
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