まぬままおま

偶然と想像のまぬままおまのレビュー・感想・評価

偶然と想像(2021年製作の映画)
4.2
濱口隆介監督作品。

『ドライブ・マイ・カー』が圧倒的に凄かったので、公開したらすぐ観ようと思い、12月18日に鑑賞した。
本作もとてつもなく凄かったので、制作のきっかけになったエリック・ロメール監督作品も観ていたら一カ月ぐらいたってしまった。

2021年はホン・サンス監督の『逃げた女』が日本で公開されたり、エリック・ロメール監督の「六つの教訓話」シリーズが特集上映された年である。そんな時代の波に身を委ね、彼らの映画にドはまりした私が本作に出会ったことも何かの偶然としか言い難い。

本作の制作のきっかけは、パンフレットに記載されている濱口監督とロメール監督作品に編集で携わったマリー・ステファンとの対談によると、監督が彼女からロメール監督にとって短編製作がいかに重要だったかを伝えられたからだそう。そしてロメール監督が重要な概念とした「偶然」と「『もしあのときそうしていなかったら』という発想」(p.14)としての「想像」をタイトルにしている。
また本作は、「全七話を予定している同名シリーズの第一弾として、その第一話から第三話」(p.4)で構成されている。なぜ七話なのかは、ロメール監督作品の『木と市長と文化会館』の日本語副タイトル「または七つの偶然」から企画を始めたからだそう。また短編を束ねて一定の尺にすることは、同じくロメール監督作品の『パリのランデブー』から考えたそう。このように、エリック・ロメール監督やその作品群をきっかけにしながら、濱口監督としてのオリジナリティも多分に含んだ作品が本作なのである。

以下、各話ごとにレビューする。

第一話 魔法(よりもっと不確か)
芽衣子の親友であるつぐみが魔法みたいな時間を過ごした男カズが、実は芽衣子の元カレだったと偶然にも発覚する話。

まず主人公の芽衣子が素晴らしい。それは演じた古川琴音さんが素晴らしいのはもちろん、人物造形も巧妙だからだろう。最初は可憐な女性とは思いきや、元カレを魔法(よりもっと不確か)なものへと誘うファム・ファタールであることには鳥肌が立った。

そして芽衣子と親友のつぐみとカズがカフェで偶然出会ってしまうシーンも素晴らしい。このシーンは、『パリのランデブー』の「7時のランデブー」と類似性を指摘できるが、さらにホン・サンス監督の代名詞と言われるバカズームが導入されるのである。「もし芽衣子がつぐみに、カズが元カレだと暴露し、彼を強奪したならば」と「芽衣子が押し黙り、二人の関係性を壊さないように去る」この想像と現実をバカズームされた芽衣子によって繋いでいるのである。

またタクシーの車内シーンは『ドライブ・マイ・カー』へと引き継がれているだろうし、芽衣子が言う会話が一番エロいというのそうだなと。
第一話から異界へと連れていかれたような気分になりました。

第二話 扉は開けたままで
男子生徒の佐々木と不倫をしている社会人学生の奈緒が、彼に単位を認めず、内定も卒業も台無しにした瀬川先生に対して、彼の復讐の企てに加担し、ハニートラップを仕掛け同じく人生を台無しにしようとする話。

ハニートラップとは、瀬川が執筆した小説の官能的な部分を学生の奈緒に音読させたと仕向けるものである。この官能的な部分は濱口監督自身が創作したことに驚きつつ、密室の秘め事より扉が開いた開放的な空間で平然と行われる事のほうが危うく、不穏な要素を帯びていることがよく分かる。

ハニートラップは失敗に終わるのだが、二人の邂逅は、奈緒にとっては自分を見出すことで、瀬川にとっては美しい人に音読されるという快感によって奇妙な成就を果たすのである。しかし彼女が、瀬川に送るメールを娘のサガワという発話に引っ張られるが故に、事務職員のサガワに誤送信してしまうことで、偶然にも佐々木の企ても成就してしまうのである。

「もし奈緒が佐々木と不倫をしていなければ」「もし瀬川が佐々木の単位を認めていれば」奈緒と瀬川の邂逅はなかったかもしれない。そして「もし奈緒と佐々木の不倫が続いていたならば」「もし瀬川が大学を辞めることがなければ」と別様の未来も想像できる。だからこそ偶然に束ねられた事態や関係性を愛することが求められるのかもしれない。例え痛みを伴っても。

第三話 もう一度
夏子はかつての恋人ミカに会うため、高校の同窓会が開かれる仙台にやってくる。同窓会では会えないものの、帰路で偶然、ミカと思わしき人に出会う。彼女のほうも偶然の再会を嬉しく思っている様で、家に招かれる。だが実は、彼女はミカではなく、あやであり高校も全く違う赤の他人であることが分かる。

前の二話では、定まった人間関係から偶然の出来事が生じるのに対し、その人間関係の前提が崩される展開に驚いてしまった。

そしてあやがミカを演じ、夏子とミカを再会させる展開もよかった。他者を演じることはあやの深いところに触れ、あや自身を変化させてしまう。また夏子はあや演じるミカとの対話を通して自己を開き「正しく傷つく」ことができるのである。あやは夏子との偶然の出来事を通して忘れていた他者の名前を思い出す。その名前は「のぞみ」である。もし二人が錯覚を起こしていなかったなら、望みは絶たれていたかもしれない。そんな想像をしてしまう。

以上、それぞれについてレビューをしてきたが、各話は緩やかに繋がっている。一話ではタクシーの車内が描かれているが、二話ではバスの車内が描かれる。二話はメールの誤送信で終わるが、三話はコンピュータウイルスXeron(セロン)の蔓延で、インターネットが遮断された近未来の設定で始まる。これもまた偶然なのではと思わせるー多分に意図的であると思うがー繋がりである。

前述の通り、本作は全七話で構成させるシリーズの第一話から第三話である。次はどんな偶然が到来し、想像を駆り立たせるのか。驚きと戸惑いの映画体験に期待大である。

蛇足
第三話のSF的設定は、別にこの設定がなくても物語が成立するのではと思ってしまう。ただ映画に翻案した『寝ても覚めても』に登場する麦は、小説では宇宙人であるという裏設定があったりと、SFの設定が入り混じっている。『寝ても覚めても』と関連するかは定かではないが、なぜこの設定を組み込んだのかは、今後機会があれば質問したい。