sakura

対峙のsakuraのレビュー・感想・評価

対峙(2021年製作の映画)
3.5
オーストラリア・タスマニア島で実際に起きた銃乱射事件の犯人の、事件を起こすまでの人生を描いた作品『ニトラム / NITRAM』を見たときに次のような感想を書いた。
“この上なく孤独だった彼が過ごした人生の追体験に、息もできない”

そして本作、作品に関してだけ言えば、その『ニトラム / NITRAM』を上回る息のできなさだった。窒息しそうな映画。

被害者の両親のほうからの働きかけでこの場が設けられたことが示唆されるけれど、「なぜ」「なにを」「何のために」が終始付き纏う。

個人的には、手がつけられない我が子ものの映画を結構見ているので、加害者の両親にも感情移入してしまう。両者理性的な態度を保とうとはするものの、状況が状況なのでさすがに難しくなったとき、理性を失って相手を責める側の被害者家族と、理性を失って開きなおるようになってしまう側の加害者家族という、どうしようもない位置関係が苦しい。

「なぜ」「なにを」「何のために」はいずれも最後まで明かされないが、ラスト30分くらいでなんとなく見えてくる、誰かに話したかったんだろうな、という気持ち。
よく恋愛相談とかで、相談の答えが欲しくて話しているというよりも、話しているうちに気持ちが整理されて答えが得られなくともすっきりするということって、多くの人が身に覚えがあると思う。
それと同じとは言わないが近しいかんじで、「誰かに話す機会」を必要としていたのではないか。他人に話すには重すぎる、カウンセラーは話を聞くための存在で誰かに話すという行為の実感が今ひとつ薄い、そんなかんじで。

レイプ事件の被害者が加害者の一人と生活を共にする小説・映画『さよなら渓谷』のことを少し思い出したりした。

被害者と加害者は正反対の位置にいるのだけれど、正反対の位置にいながらにして、部外者に比べたら双方は同じ方向かつ近しい場所に位置するみたいな。
“被害者←→加害者”
なんだけど、
“部外者─────被害者←→加害者”
というかんじ。
それが、この場の理由と意義だったのではないかな、などと考える。
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