このレビューはネタバレを含みます
ナチスの惨禍への反省から戦後ドイツは「人間の尊厳」を憲法の中心的価値に据えた。
しかし、本当に人間にはそのような価値があるのだろうか。そもそも人間であるとはどのようなことなのだろうか。
本作は、過去との対話を生業とする楔形文字の研究者が、未来の象徴であり、人格的な非人間であるヒューマノイドとの交流を通じて「人間の尊厳」を考察してゆく近未来SF映画である。
近代人は人間を非人間と異ならせ特別な存在にするものは「理性」と「言語」であると考えがちだ。
しかしコンピュータの発明とそれに続くAIの誕生はそうした人間観に疑問を投げかける。
じじつ、本作に登場するヒューマノイドのトムも、エリート研究者を遥かに上回る頭脳と言語能力を有している。
人間を特徴づけるのは理性でも言語でもない。
むしろ、トムになくて主人公にあるのはクオリア・感覚を備えた身体である。
主人公とトムが身体的な接触を交わす場面で明らかになるように、ロボットであるトムは行動に通常随伴するはずの「感覚」がない。
そしておそらくはクオリアと関連する「意識」もない。
主人公は終盤でそのことを強く自覚し、ロボットとの「交流」に思われたものは実のところ一方通行の一人芝居にすぎないことを悟る。
心身が衰えゆく父や妊娠機能を失った主人公自身が示唆するように、身体を持つことは脆弱性を持つことであり、それゆえの不安や孤独を持つことでもある。
しかし、そうした不完全さがあるからこそ人間はより理想的な状態を求めて進むことができ、さまざまな活動の原動力を得ることができる。
「人類は本当に、ボタン一つでニーズを満たしたいのだろうか?実現していない願望や、想像力や果てなき幸福の追求こそが、人間の根源ではないのか?」
このように報告書を締め括った主人公であるが、最後には思いがけずトムと再会する。
これから彼女(人間)は彼(ロボット)とどのように付き合っていくのだろうか。