最初から最後までアリ・アスターの映画。過去2作ともそうだっただろ!と言えばそうだけど、まだジャンル映画の皮を被っていた。しかし、本作はもはやアリ・アスターしかなく、これまで彼が描き、恐怖してきた「家族という呪い」「母という呪縛」「無償の愛の否定」のみが包み隠さず描かれる。だから本作は、ひたすらにアリ・アスターの自己言及に付き合わされるだけの3時間となっている。
本作は4つのパートに分かれている。最初のパートは群を抜いて素晴らしく、不安に苛まれているボーに見えている世界を我々に見せる。そこは狂気の世界で、話は通じないし、街は世紀末だし、「母親」は皆恐ろしい存在である。このスラップスティックなコメディは本当に良かった。
次の舞台はボーを車で轢いた家族の家。ここでも、ボーは最悪の体験をする。ただ、ここでは、彼の主体性の無さが家庭を破壊していく様を描いている。
次は森。ここがいちばんキツかった。ボーのIFの人生が描かれるが、とにかく長い。『オオカミたちの家』の監督が手掛けたアニメーションは素晴らしいけれど、にしても長い。ここで意識を失いかけたし、「俺は何を見ているんだ・・・」という気持ちになった。
最後は種明かし。遂にボーは実家に帰る。しかし、そこでまた新たな地獄を体験する。これまでのアスター監督作のように、ボーは人生丸ごと母親に支配されていたことが発覚。ボーは母親からなじられ、最後は裁判にかけられて湖に沈む。これは冒頭と対になっているのは明白。あらゆる意味でボーは母親から逃れられないのだと思う。
本作を見終わって、周りにいた客が盛んに作品の解釈について話し合っていた。確かにアスター監督の映画は考察の対象になることもある。ただ、個人的には、本作は考察などするまでもなく、「見たまんま」だと思った。つまり、本作はボーの帰省映画で、母親の呪縛からは逃れられないし、無償の愛など存在しない、という恐怖の物語。それに、種明かしも含め、めちゃくちゃ丁寧に説明してくれてる。ただ、本作はこれまでのアスター監督作と同じく、主演と観客の視点を同化させる語り口をとっている。ボーは神経症を患っているおり、見えている世界が「ボー目線」であるため、あのような不安定な映画になっているだけだと思う。
3回連続で同じ主題で映画を撮る胆力は凄まじいし、3作目が自分のことしか話していないのも凄まじい。そして、不安症の人間の主観で映画を進めるという常軌を逸した内容なのも凄まじい。あらゆる意味で変な映画だと思う。ただ、3時間見て、「アリ・アスターの話だな」以外の感想が湧かないのは、いかがなものかとは思う。