ストーリーライン自体は地味で、劇中起こっていることはすごくエンタメ性があるわけではない。
偽札事件と一家失踪事件の真相、それだけを追っていけば平凡な映画である。
ただ、今作の面白さはそこではない。
今作のいわゆる謎解き要素っていうのには“層”があって、
1層目は偽札事件と一家失踪事件の繋がりと真相とは?っていう表面的なストーリー。小説家の津田が自身の記憶と体験から事件の真相を解き明かしていくという部分である。
そして2層目に当たるのが、そもそもその真相は本当なの?っていう部分。
今作は語り手の津田が実際に経験したことと、それを元に津田が想像したことの2場面が入り混じって展開されていく。
なので本当の真相というのは一切わからずに映画は終了する。
このどこまでが実際の出来事で、どこまでが津田の小説内の出来事なんだろうっていう謎が2層目。
この2層目に対して考察するのが今作の楽しみ方なのだが、まあフィクションという概念自体で遊ぶその試みはおもしろいのだが、映画として観たときにそういう仕掛けをする理由がないというか、どこかに一本芯があるわけじゃないからじゃあなんでもいいじゃんとなって考察する気持ちよさが感じられなかった。
それから、出てくる女性があまりにも定型的なのもどうなのか。主人公のダメ人間っぷりを強調するためといっても、一人くらいその枠から外れるような人がいてもいいのではないか。
この辺の描写は古き悪き邦画が出ていたと思う。
ただ、一回見ただけで全てを理解するのはたしかに無理だし、表象的な解決部分だけ見て「全部わかった!」とか言ってる人には、あなたは119分いったいなにを見てたんですか?とは言いたくなる。