クラブやディスコに(残念ながら)行ったことのない私には、DJが実際何をしている人で、何がスゴいのか、まったくわかっておりません。
この映画を見てもわかったとは言い難いのですが、目の前の観客?のノリを自在に操る(そして気持ちよくする)曲を、頭の中の膨大なストックから瞬時に選択して繋いでいく、その知識と記憶力と瞬発力と音楽的センスとに賞賛を与えられる人なんだろうと、ぼんやり理解しました。
リゾート地に音楽で彩りを与える。まあ、そのこと自体の意義について否定はしませんけど、日本でも観光地でやたら流行歌を大音量で流す風俗がありますでしょう。厳島神社を訪れたときの、浜全体を聾するようだったJポップが忘れられません。殺意を覚えました。南国のビーチでも、静かに風と波の音に耳を澄ませていたいという選択肢を、何人たりとも蹂躙してはならないと思います。しかし案の定というか、この映画の撮影当時、イビサにおける音量規制が法制化された模様で、DJ氏はちょっと困惑気味でした。これも時代の流れというやつなんでしょうね。
バレアリック・サウンドなんて注釈なくいわれても、相対評価がそもそもできない輩には何のことかさっぱりだし、DJはもちろん作り手も「言葉が表現できないことを音楽なら表現できる」というスタンスなんでしょうから、見手に説明するつもりなんてそもそもないのです。ビートに乗ってチャイコフスキーの「くるみ割り人形」が薄暮のビーチに流れたとき、そういうディスコミュージックが元々あるのか、ビートのみのサウンドとクラシックの一節を即興で合わせたオリジナルのアレンジなのか、そういうところがわからない。わからなくて全然いいんだけど、ジョン・サ・トリンサなる英国出身の「伝説的DJ」の凄さの一端でも、ズブの素人は理解しようと頑張ってるわけだからね。考えるな、感じろ、とは、なかなかいかないわけ。
スペイン南西部に点在する島々の絶景ビューと、ビーチに群がる高踏遊民たちと、白亜の石造建築群と、そしてインタビューに答えるジョン・サ・トリンサの屈託のない笑顔を、バレアリック・サウンドとやらに乗って映像はひたすらコラージュしていく。観光映画にはすまいという手つきが、かえってイビサのリアルから見手を遠ざける。何を見せられているのだろうと思いつつ、最後まで見られてしまうのは、イビサの要所要所を収めるドローン映像と、ジョン・サ・トリンサというオジサンDJの笑顔に、結局のところ私も魅了されるからなんでしょうね。欧州人の集まるバカンスのスポットなんて、ちょっと行く気がしないけれど。
なんか、最後のほうで唐突にバリ島でDJしているジョンが出てきて、エンドロールの後に「彼の新たな人生の一歩は始まったばかり」みたいなことがテロップで告げられて、「え? この人、骨を埋める気でいたイビサを去ったの?」となるわけですが、この煮え切らない演出はなんなんでしょう。イビサと相思相愛に見えた人物が、そこを去るって、よほどのことでしょう? これ、曲がりなりにもドキュメンタリーなのに、そこ、説明しないんだ…。
悲しい現実は、この人には似合わないという作り手の配慮なんでしょうか。なんにせよ、釈然としませんね。