囚人13号

都会の女の囚人13号のネタバレレビュー・内容・結末

都会の女(1930年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

『サンライズ』の姉妹編、奇跡の再演という奇跡。電報を読んでからのズームアウト、『サンライズ』田舎道のワンカット、『最後の人』に見られる耳元への接写など技法面の革新性は計り知れないが、それ以上に重要なのはこれら技法が人物の精神世界と共鳴し、映像が心情の顕在化を担っているということ。

ムルナウ映画は人間の内的な主題を扱っており、表層的なドラマの深部に潜む情感の代弁を言葉以上の饒舌さで語っているものこそ彼の"映像"なのだが、言及を『サンライズ』『都会の女』に絞ると、この二本には邪心の消滅と男女が幸福を手にするまでが全て人間の内面から描かれている。
つまりベッドに横たわるジャネット・ゲイナーから光が溢れる素晴らしいラストカットも、麦畑を駆る男女をフォローしつつ飛翔していくカメラワークも、実のところ全て(精神的な)主観ショットというわけで。

フォーカスされた個の人生が消費されていくうえでは登場人物も最低数であるし、クライマックスの悪天候もラストの日の出、或いは愛の成就を示唆するランプへの布石として機能する。

今作におけるメアリー・ダンカンは都会の女=ファム・ファタールにという固定観念を見事に打ち砕き、真実に気付くのは常に男性側であるが…ジョージ・オブライエンの目に光が篭ると道路が花畑へ変容していくように、息子の覚悟を目にした父の中で邪心が消滅すると、大嵐も小麦を揺らすそよ風へと姿を変える。

傍から見れば「変わった」というだけの物語であるが本人の中では天文的な変革が確実に起こっており、このミニマルな小宇宙を描き切った映像説話こそムルナウの本質ではないかと思います
囚人13号

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