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エンドロールのつづきのSPNminacoのレビュー・感想・評価

エンドロールのつづき(2021年製作の映画)
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映画に夢中な少年が映画館に入り浸り、映写技師の相棒として手伝うようになる…と、そこだけ抜き出せばインド版『ニュー・シネマ・パラダイス』だが、あんな風にロマンティックなノスタルジーとエモーショナルの大河ドラマではない。もっと淡々とした展開の詩的な映像演出で、舞台はほんの10年くらい前のこと。そして映画愛というより、映写機とフィルムへの偏愛、フィルム原理主義映画だった(もちろん、この映画もコダックや富士フィルムで撮られてる)。
時代に取り残されたような村と映画館は、美女とアクション、歌と踊りの豪華絢爛な映画世界とは裏腹な現実に直面している。父親のチャイ売りもフィルムもやがて消える運命。だが、映画という光に出会った主人公サマイはその光を捕まえようとする。
フィルムの切れ端だけでは飽き足らず、サマイは仲間を連れて文字通り映画を盗み出し(これぞ映画泥棒!)、もう一つの「映画館」を作ってしまう。1コマずつの静止画から連続する映像へ、サイレントからトーキーへ、あたかも映画の歴史をなぞるかのようだ。
同時に、映画と引き換えにサマイの弁当を横取りする映写技師は映写技術と弁当を分け合い、サマイは映画を皆と共有する。フィルムは「人を騙す」とはいえ、持たざる者たちが分かち合う光なのだ。但し、光には影が付きもの。現代の階級は英語ができるか否かだと言われるように、その先へ進める者と進めない者がいる。度々通過する列車は、映画フィルムそのものであり、先へと急き立てる時間の流れ。
サマイが村の外へ出るのも映画を追ってだ。そこで目にするのは溶鉱炉の光と、機械のように黙々と働く労働者。列車=フィルムの終点にある現代の、創意工夫も衝動も自由もなく大量生産する光景を、一つの時代の死を、なんと恐ろしく見せることか。
でもサマイは未来への列車に乗る。光を追っていた彼自身が光になるのだ。最後はやっぱり『ニュー・シネマ・パラダイス』によく似てるけど、それを独特にアレンジしてあるのが面白い。フィルムは死なず。主役バヴィン・ラバリくんもずっと淡々と演じてるが、旅立つ顔はとてもエモーショナルだった。
映画を作ろうにもカメラなどないので、段ボールの画面フレームから映画ごっこを覗くとか、列車の窓からの光を投射するとか、原始的な発想を見せる場面が美しい。ママの料理も実に美しく美味しそうに撮られてるが、これも創意工夫による「作品」だからだと思う。
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