ドナルド

女と男のいる舗道のドナルドのネタバレレビュー・内容・結末

女と男のいる舗道(1962年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

目黒シネマにて鑑賞、ゴダールを映画館で拝むのは何気に初めて。
隣の知らないお兄さんがえっどゆこと?と言ってしまうほど突然の悲劇で幕を閉じる、アンナカリーナが美しい、そして哀しすぎる最期。この頃は芸術性を純粋に追い求めていたゴダール、ミューズであるアンナへの愛が伝わるショットや会話劇、音の途切れなどとても"ゴダールってる"映画だった。
原題は「自分らしく生きる」とあるが、自己責任論を掲げて利用され続ける彼女が突き放して描かれ、彼女自身もそれを自分らしく生きた結果として葛藤もなく受け入れてしまう。作品としてはとても暗い。所々に散りばめられる彼女の純粋さが伝わるシーンが、更にラストを悲しくさせる。(てか死ぬ必要あった?)
相変わらず哲学的なセリフも魅力的。一番印象的なのは第11章「シャトレ広場 – 見知らぬ男 – ナナは知識をもたずに哲学する」の哲学おじさんのセリフ、以下自分へのメモ→「人間も言葉を裏切る。書くようには話せないから。でも難しい言葉を理解できることもある。何かが通じ合う。表現は大事なことだ。会話せずに人生は続かない。話すことは話さないでいる人生の死を意味するものだ。言語と沈黙の間の揺れが人生の運動そのものである。日常の生活から別の人生への飛翔、それが考えることだ。正しい言葉を見つけるべく努力すべきだ。誤りから真実に到達するためにドイツ哲学が生まれたんだ」「愛は常に真実であるべきだ。愛するものをすぐ認識できるか。20歳で愛の識別ができるか。できないものだ。経験から「これが好きだ」と言う。純粋な愛を理解するには成熟と探求が必要だ。人生の真実だよ。だから愛は真実であれば、解決になるんだ」
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