レインウォッチャー

チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

3.5
スパイダーマンにバットマン、ゴーストバスターズ、そしてトップガン。あ、ウルトラマンもか。
今年は○年ぶりの続編、とかリブート映画の当たり年といえる。

そんな年にしれっとDisney+に投下された今作もまたその類の続編…と見せかけて、かなりメタな自虐と自己批判が垣間見える怪作だった。言うなれば「続編を作ること」自体を映画にしてしまった作品なのだ。

その前にまずは闇鍋のごとくぶち込まれた、ディズニーという枠さえ超えるカルチャーと版権の嵐・嵐・嵐。『レディ・プレイヤー1』や『フリー・ガイ』を引き合いに出す人も多いように、これは無条件に楽しいお祭りで、基本的にはこれだけでお腹パンパンになる。
元ネタ解説動画とかどうせ上がっているのだろうけれど、もはやこの物量の前では意味をなさないのではないだろうか。木を隠すなら森の中とはいうけれど、イースターエッグのボールプールに放り込まれた気分だ。

実写とカートゥーン調アニメ、リアル風CGアニメ、さらにはクレイアニメなどが同じ画面に同居する…という「何を言ってるのかわからねーと思うが略」な画面作りもアヴァンギャルドでありながら人を食ったような「ワルさ」があって、とても賢くてかつ碌でもねえ奴が作ってるんだろうなあということが伝わってくる。

さてどうしてもそんな派手すぎる煙幕に気をとられがちだけれど、今作に潜んだ鋭い目線を忘れずにおきたいところだ。

世界のディズニーといえど、ずっと順風満帆だったわけではない。
山と谷を繰り返して現在に至るわけで、たとえば90年代半ば〜00年代前半は何度目かの「谷」にあたる。

マイケル・アイズナー体制で率いられたディズニー ムービー・トゥーン(のちディズニー・トゥーン・スタジオに改名)というサブスタジオにおいて、過去の名作アニメ映画の続編作品が粗製濫造された時期である。更にその多くはビデオスルーであり、「劇場の夢」や「新作を作ること」を半ば放棄したようなスタンス。

その後ディズニーはピクサー買収というビッグイベントを経たのち、第三期黄金期といわれる時代に入っていく。そのため、現在において上記のアイズナー体制はその独裁的体制だったりオリジナリティの欠如という面を突かれ、批判されることが多い。
しかし俯瞰してみれば、ディズニーにとって厳しい時代を小金稼ぎで乗り切ったともいえるだろう。

ここで今作に話を戻せば、この功罪を辛辣に、かつあくまでもポジティブに描いている作品であることがわかる。

闇組織に捕まったキャラが整形されてクソみたいな海賊版作品に死ぬまで出演させられる…という話は、つまり実話だったのだ。海外にあると思われていたスタジオが実は…という終盤のある種明かしもまたスパイスが効いている。
今作のヴィランが最後に陥るあのキメラのような姿は、ギャグでありながら今まで消費され忘れられていった数多のキャラクターのゾンビのような嘆きが表れているように思えてならない。

では皮肉や批判一辺倒なのかというと、それも否だ。
今作でチップとデールが窮地を脱する際は、必ずといっていいほど過去作のエピソードで得た知識や経験がキーとなるし、随所で彼らを助けるのはかつてのファンたちだ。それに何より、「家族」と再開することの得難い喜びを実直に描いている。

その明暗を分けるのは、そこに誠実さがあるかどうかなのだろう。
とはいえ昨今は、コンテンツの提供側の問題よりも、受け手側の声が見えやすくなったがために面倒な事態を引き起こしがちともいえ、状況はより複雑だ。これもまた功罪。

そのあたりも含めて、果たしていまのディズニーがかつての暗黒期にまた片足を突っ込んでいないと言えるのか?そこには多くの意見があるだろうけれど、少なくとも今作はそうはさせまい、という矜持を感じることができる。

ただ「待っていてくれるファンたちのために」「まだまだ動きたいキャラクターたちのために」。

その純粋な思いが込められた作品であればきっと伝わると信じたいし、わたしたちもそれを真っ直ぐキャッチできる「まっとうなファン」であり続けたいものである。