麟チャウダー

成れの果ての麟チャウダーのレビュー・感想・評価

成れの果て(2021年製作の映画)
3.7
思い遣りの欠けた言葉ばかりでうんざりする。狭い世界に閉じこもるしかできなかったら、ここまで人と人とを不幸で繋いで行ってしまうんだなって。幸福があるから不幸を感じるんじゃなくて何もない平凡しかないのに不幸を作り出してしまうなら、きっと幸福なんか手が届かないだろうし感じることもできないだろうなって思う。何もない普通が最大値で、平凡か不幸しかない世界もあるんだなって思った。人が生きる世界をそうさせてしまう環境もあるんだなって思った。そうさせてしまう程の出来事を、人間が引き起こせてしまうんだなって思った。

観ても何も良いことなんてなかったなって、そんな映画だった。ただ分からない事がまた分からないまま、分からなかった事が濃厚になっただけだった。別の分からなさを感じただけだった(※良い意味で)。だからこそ何かは考えないといけない映画ではあったと思う。けどただただ胸糞悪い。

後になって後悔し出す奴は気持ち悪くて仕方がない。そうやってちゃんと苦しんでますって、ふざけんなって思う。でもそういう奴がそうする事も、そういう奴に対して思ってしまうことも、ああ不出来な人間なんだなって。所詮、人間だったんだなって、自分にも相手にもそれが人間だからっていう諦めの道しか見つからないことに、うんざりする。/

カメラワークがひどく揺れててそれに酔って気持ち悪かった。カメラの手ブレが登場人物の心を表しているのだとしたら、これだけ人物の心情が揺れているならとても耐えられないだろうなとは思った。これだけ揺らいでおきながら、感情を抑え、言葉を飲み込み、毅然として怒りを発露することはこれも一つの発狂の形なんだろうなって思う。冷静に、悪い方向に狂ってしまっているんじゃないかな。

閉鎖的な世界で誰かが壊された出来事に、みんなが壊されていく。
それぞれの成れの果ての姿を見て何を思えばいいんだろうか。誰が救われて、誰が幸せになったんだろう。あのまま不幸のままなんだろうか。もっと不幸になるんだろうか。
形を変えただけで不幸はまだきっと、これからもずっとあるんだろうなって思う。一度、不幸が生まれたらきっと形態や居場所は変われど、本質的に消えて元に戻ることは無いんだろうなって思わされた。/

私はお前に苦しめられた、だからお前も苦しめっていう復讐。もっともな理屈だけど、だからって変わらないよなって。救われるどころか、むしろ違う傷を負ってしまうんだろうなって思った。そして同じ苦しみを再現するなんて不可能なんだなって。

復讐や仕返しが、復讐や仕返しとして機能するかどうかは痛みの度合いによるんだなって。黙って耐えて苦しんできた年月と、その事実によってさらに傷付いた二次的な痛みの度合いによるんだなって思った。
一つの不幸が与える傷が一つとは限らなくて、一つの不幸という事実がその先の人生で複数回に渡って時と場所と形を変えて何度も傷を与えてくるんだなって。そしてそれが、本来は傷付く必要のなかった人達まで巻き込むんだなって、時と場所を超えて。

後悔してるなら一緒に暮らしてずっと苦しめっていう仕打ち、永遠にその後悔や罪を目の前にして苦しんで生きろっていうのは効果的だと思う、初めのうちは。/

傷付いた人に対して、その傷を「君は君で忘れ方を見つけろよ。みんなはもう忘れていたんだから、今さら」っていうような言葉は決して言えない言葉ではあるとは思うんだけど、そんな言葉が頭に浮かびはするんだろうなって思う。
言わないからって思わないわけではないし、思ってしまうんだったらそれは言ったのと同じくらい罪のあることだと思った。ここは凄く考えさせられた部分だった。/

どうしたらいいんだろう。もう正解がない所まで来てしまった問題に、正解を探しているようなことなんだろうなって思った。そもそも正解が無い領域に踏み込んで、不正解を踏み歩いているような。

誰かが黙って誰にも知られず、誰よりも傷付いていたりするんだろうなって。
別の場所や別の時間でそれぞれ誰かの番が来て、誰かが余計に苦しんでいるのかもしれないなって思った。みんなが同じ熱量で同じ瞬間に傷付くことがないから、人によってそれぞれの傷付き方とやり過ごし方で日々がなんとかなってしまって、バラバラのままずっと勝手に傷付いて生きて行くんだろうなって思った。

みんなで一斉に苦しんで辞められたらその先に何も続かないから不幸もこれ以上生まれないし広がらない、つまり全員が居なくなれば。だけどそんなことは出来ないし、誰もしないし、するべきじゃないから仕方なく生きて苦しみが続いて広がって行く。じゃあどうしたらいいんだろう。難しいし、分からないなって思った。/

ラストのまた奪われたことに気が狂う場面、苦しんでいることに付け込まれて自分の苦しみを相手の欲望のために利用されてしまうと感じたら、そら狂うほど怒るよなって思う。
お前の欲や望みのために苦しんでるんじゃねぇんだよって、この苦しみの中にお前は居ないし触れさせねぇよって、踏み込んでくるんじゃねぇよって。そうやって怒りが沸くのは当然なんだけど、その姿を見てなぜか同情できず、冷たい視線を浴びせてしまった。

目の前の相手に向かって帰れって言って物を投げて攻撃してるんだけど、でもその相手のことを見てなくて、頭の中にいる相手に対して攻撃しているようで、その姿が哀れだった、無様で、救いようがなく、周りの人達に見限られるような取り乱し方だった。何も悪くないはずなのに、こうはならなかったはずなのに。
傷付いている奴が傷付くことは当然で、傷付いた奴の態度を取っていろって思ってしまった。耐えるな、堪えるなそんなことは許さない、傷付け、痛みを感じろって思ってしまった。
弱者に対して必死で救おうとしない自分の偽善的で、思い遣りを想像するだけで助けた気になってる独善的な、お飾りの優しさや正義感を炙り出された気分だった。本気で、覚悟を持って思い遣る程の心があるわけじゃないことを知ってしまったように感じた。/

この後どうなって行くんだろうっていう好奇の目、期待の眼差しで物語の終幕を眺めてしまっていた。人の不幸を消費していることを、何とも思わないんだなってことが分かった。
どうしていいか分からず、どうすることもできない不幸や痛みに対して、他人事であればあまり真剣には考えようとしないことが分かった。
そうやって人は他人の気持ちを考えずに、余計に人をまた傷付けていくんだろうなって思った。
閉じた世界で巡り巡ってる不幸が、その閉じた世界の中で循環している分には痛みへの思い遣りや、不幸を観察して、消費できるんだろうなとは思う。
けど、それが外の世界に漏れ出てしまうようであれば、彼らを平気で責めて排斥しようとすることも、巻き込まれたら傷付け合うこたも簡単に想像できる。そんな人間達のことを理解できないなって思うんだけど、自分も同じ人間ではあることだけは理解できる。
麟チャウダー

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