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キース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイ〜のMadeGoodのレビュー・感想・評価

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キース・ヘリング ― 眠れる巨人

本邦初公開のドキュメンタリー『ストリートアートボーイ』は、稀代の芸術家キース・へリングの物語です。彼は1990年に28歳で悲劇的な死を迎えるまで、短くとも輝かしい一時代を築いたアート活動家であり、芸術、ポップカルチャーに大きな影響を与え、革命をもたらしました。この映画は、へリングの作品と彼が活躍した80年代初頭のストリートアートシーンを大胆に生き生きと今に伝えるドキュメンタリーです。伝説のディスコ「パラダイスガレージ」があり、地下鉄のグラフィティ、パンクやパーティーシーンが台頭した時代。監督ベン・アンソニーは、山のような音源と映像アーカイブをもとに、当時の活気を完全にとらえた映像作品として新時代の私たちに提示しています。キース・へリングが時代に刻んだ影響は決して消えてはいません。

ヘリングは日本でも根強い人気を誇っています。何度も日本を訪れ、熱心に人々と交流しただけでなく、彼のアートが日本のビジュアルカルチャーと親和性があったこともその理由です。1983年に初めて東京を訪れた際には、驚くほど緻密で素晴らしい壁画を残しています。再び来日した1987年になると、へリングはすでに有名なアーティストとなっていて2店舗目の「ポップショップ」をオープンしようと考えていました。ポップショップの構想は、スリーアイド、ベイビー、ドッグなどの有名なへリング作品を、バッジ、靴、食器やTシャツにして一般大衆に向けて商業的に販売するという型破りで前代未聞の実験でした。アートを身近に感じることを、文字通り至る所に配置して実現するという発想です。

ポップショップ・トーキョーは軌道には乗らなかったものの、明らかに日本はへリングのアイデアを受け入れやすい環境だったと言えます。例えば、書道、狩野派、木版印刷、浮世絵、マンガなど日本独自の芸術的背景は、へリングの大胆な表現スタイルと共鳴するところがあります。もちろん日本だけにとどまらず、へリングの天才的な感性は広く親しまれ、時代も超越しています。美術評論家が高く評価(ときには否定的に)するように、作品には、洞窟壁画、象形文字、オーストラリア先住民の芸術、マンガ、グラフィティとの深い関連性が見られます。そして、へリング自身もこれらの芸術に造詣がありました。美的調和とバランス性に培われた日本文化は、磨かれた芸術性と高い技術に対して深い敬意と鑑賞眼を育む基盤を持っています。ヘリングの洗練された表現、くっきりとした線画の純粋で揺るぎない作風はあっという間に日本人の観客を魅了しました。

また、時代が求めるタイミングにも合っていたのでしょう。当時、前例のない経済・技術ブームの到来があり、1980年代の日本は(とくに都市部で)アメリカのポップカルチャーへ強く傾倒して行きました。その現象は今も続いています。明らかな言語間の隔たりがあるため、日本におけるアメリカ文化の流入と再解釈の形態は表面的で観念的な性質に集中しています。意味と理解は、社会理論学で言うところの記号論、つまり記号・シンボル・文脈の相互作用によってもたらされます。ヘリングのアートは視覚言語として可能な限り障壁を無くし、日本の人々に提示されました。彼の描く記号とシンボルは、自由と愛を謳い、そして何よりも“クール”でした。1980年代、へリング作品の素晴らしさに魅了された場所は、恐らくニューヨークよりも東京だったのです。

へリング自身も今日でも色あせることのない魅力を持っています。風変わりでオシャレな服、ぶ厚い眼鏡、パーティーで大騒ぎしたり世界各国を飛び回ったりと、典型的な都会人のヒップスターです。また、同性愛者であり、ビジネスマンであり、ポップカルチャーとその周辺のアートコンテンツのクリエーターとして多くの作品を残しています。2021年現在においても彼を超える人物はいません。きっとすべての世代がそう感じるでしょう。『ストリートアートボーイ』を見ると、キース・ヘリングが作品制作に並外れた情熱を傾け、普通の人々が身近に作品を感じられるようにするためどれほどの時間を費やしたかを知ることができます。ニューヨーク、バルセロナ、ベルリン、そのほか世界中の数十カ所以上、そして日本でも、学校の壁や空き地、使われていない掲示板などをキャンバスにして、へリングは描きました。画廊に独占され金持ちに支配されたアート界を飛び出し、芸術は一般大衆のものと信じて無償で実践した制作活動でした。一見すると単純な活動に見えますが、実際にかかった労力は計り知れません。そして間違いなく、これらの作品によってへリングと観客は芸術の豊かさを共有できたのです。

ヘリングは、自分らしい作品の在り方についても熟考を重ねていました。1978年の日記には次のように書かれています。
「見た目の“良さ”なんて気にせずに心の赴くままに描く。そして、体の自由に任せて瞬時に反応し、応答することで作品をコントロールする。自分のエネルギーを自由に操るんだ(と言っても操る必要もないのだけれど)…制作に関わる条件は、個々の事象の相互作用とそこで起こる反応だけだ。…緩やかに飾らず、本質的であり、抑制を受けず、既存の枠にはとらわれない。儚くていい、永続性は重要ではない。すでに存在は認知されていて、カメラに収めれば恒久的にもなり得る。」


これは当時としては実に急進的な概念でした。アートを人々の真ん中に据え、学生たちやグラフィティアーティストと協働したり、放棄された空間をアートで生まれ変わらせるなど、へリングは20世紀後半の「ストリートアート」界を実質的に牽引していました。イギリスのアーティストであるオベイ(OBAY)、フェイル(FAILE)、カウズ(KAWS)、WKインターアクト(WK interact)、スタティック(STATIC)、そしてもちろんバンクシー(BANKSY)までもが、大胆不敵で社会批判性があり、グラフィック技法を用いてヒップホップ文化とグラフィティライターのパンク精神を融合させたへリングの方法論に追随しています。アメリカやイギリス、ヨーロッパのようなグラフィティ文化は、日本ではそれほど根付いてはいませんが、芸術とポップカルチャーの化学反応や、アートをひとつの生き方として捉えるへリングのようなアーティストは日本でもずっと深い称賛をもって受け入れられています。

ヘリングには人々を結びつける類い稀な才能がありました。見る者は彼の絵の中に自分自身を見つけ、仲間との繋がりを感じます。この映画を通じて、新世代の私たちもへリングの作品と出会い新たな発見をするでしょう。それこそがへリングの望んでいたことです。ひとりの人間の輝きは時間とともに薄らいでいきますが、この映画によって光が当てられた今、いつの時代もそこに生きる私たちのアートとして重要な価値観を示してくれます。ぜひ、ポップカルチャーの忘れられた伝説キース・へリングを発見してください。
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