sakura

スティルウォーターのsakuraのレビュー・感想・評価

スティルウォーター(2021年製作の映画)
3.0
公開当時、あんなに何度も予告見てたはずなのに「マット・デイモンが汚染水問題に一人で立ち向かう」映画だと思っていた。
観終えた今、なんでそう思ってたのかが謎すぎる。

そしてNETFLIXオリジナルの『グッド・ナース』に継いで、期せずしてシングルマザーの「恋愛?」ものでもあって喰らった。全然メインのストーリーではなくサブサブテーマというか設定のひとつくらいに過ぎないのだけど、感情移入してしまう。

「冤罪」という大きな主題があるのだけど、たとえば『英雄の証明』とかとはどこか方向性が違うテイスト。
それは父と娘の関係の危うさや、どちらかがどちらかを信用しているときに反対は信用していないかんじが影響しているような気がする。
前半は娘は父を(仮にも)信頼して(というか藁にもすがる思いで)手紙を託す。しかし中盤とあることを知って以降、娘は父を信頼しなくなり面会も断り手紙も読まなくなる。一方父は、顔も合わせられず連絡も取れない中で、束の間の擬似家族のような「幸せ」を掴みかけるもののそれを捨ててまで娘の無実を証明するために奔走する。
いつもお互いに一方通行なかんじが、観客をどこか淡々とさせるのかもしれない。

川上未映子さんの『すべて真夜中の恋人たち』にあった、「信用」と「信頼」は違う、というくだりのことなんかを思った。

そして終盤、マヤが可愛すぎて母親の代わりにわたしが取り調べをやめさせるべく発狂しそうだった。
ずっと望んできたものを得られる可能性と引き換えに、掴みかけた「幸せのようななにか」は決定的に手に入らなくなる感じやその喪失感が続くかんじは、どこか村上春樹的にも感じた。

ラスト、マット・デイモン演じる父の「自分の娘だ 思うわけがない」というセリフ、一見とてもいい言葉のように思えるのだけれど、結局はこういうところがこの父娘の危うさのような気がした。
金原ひとみさんの小説をよく読むのだけれど、彼女の作品に出てくる世間の常識から「逸脱」した人たちを見ていると、「家族だから許せない」「家族だもの、そんなことするはずない」みたいな風に物事の善悪の判断に己との関係性が関与してくる人に危うさを感じずにはいられない。情に厚いいい人のように思えるけれど、客観的に見れば「情に浮かされて真っ当な判断ができない人」であることに彼女の作品を読んでいると気付かされる。

そういえば昨日観た、『ONE PIECE FILM RED』でも「お前はオレの娘だ」みたいなこと言ってて、あれはまったくワンピースのファンじゃないが、グッときたなあ。
けどあれも結局血縁はないわけで、家族とか実の親子とかってなんだろう…と思う
sakura

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