ライアン孤独な海賊王

まっぱだかのライアン孤独な海賊王のレビュー・感想・評価

まっぱだか(2021年製作の映画)
4.2
元町映画館開館10周年企画で短編制作のオファーをそれぞれ別で受けていた 安楽涼・片山享両監督が、自作の上映から縁が出来た元町が舞台になるなら短編と言わず長編を撮りたいよね、と勝手に企画意図を無視して走り出した結果、10周年企画としては無理だが面白かったら協力するという話になり、最終的には元町映画館配給作品となった。

片山監督により脚本初稿が書かれたのは2020年の春前。新型コロナによる緊急事態宣言と片山監督個人に身内の不幸が重なり「当たり前とはなんなのか?」をテーマにして、同時に元町に暮らす人の日常を映し出す作品に仕上がっている。

恋人を失う=自分にとって当たり前であった日常が消え去り、その喪失感から1歩も前に進めなくなった青年・俊。

「笑顔が良い」と周囲から求め続けられたことで他の感情を表に出せず、いつしか当たり前の自分を見失ってしまった女性・ナツコ。

物語はこの2人を主軸に、2人が偶然出会い、互いの中に己の見失ったものを見つけるまでが描かれる。



心に大きな喪失を抱えた者にとって、失われた当たり前の日常はいかほどの眩しさだっただろうか。二度と手に入らない光と頭ではわかっていても、そこに手を伸ばさずには居られない。芸術家の俊は、失われた光を求めるように街を彷徨い歩く日々を送っている。

他人から認められることはとても嬉しいけれど、そのために表面上を取り繕っていたらいつしかその仮面を外せなくなっていた、なんてことはないだろうか?本当の自分を見せたら嫌われると心が脅えてしまい、自分が何者であったかが分からなくなってしまう。夜にBarで働く役者の卵ナツコは、今日も周りに作り笑いを浮かべながら1人になるとそんな自分にため息をつく。

大切な日々を失ったことで当たり前であることの尊さを噛み締める俊と、周囲から求められる陽のイメージに嫌気がさしながらそれを捨てられないナツコ。2人は偶然出会い、特に言葉も交わさないまま、いつしかお互いの存在を頭の片隅に意識するようになる。

初見だけでは割り切りが出来ない面倒臭い人達の話という印象が強いかもしれないが、もう一度観るとそれぞれの心情が理解できるようになってくるので、できれば複数回観ることをオススメする。


この作品は長編にも関わらず主演2人の台詞が少ない。俊は終始黙り込んでいるし、ナツコは恋人でもある年の離れたBARの店長に精神的なマウントを取られて自分の言葉を聞いてもらえず自分を出すことを躊躇してしまう。

台詞が少ない分、佇まいや存在感で内側の感情を表さねばならず、俊役の柳谷一成さんとナツコ役の津田晴香さんにとっては精神的にシンドい撮影だったに違いない。
特にナツコは、片山監督が脚本を書く前に津田さんへオファーを出して当て書きしたキャラクター。故に津田さん本人とナツコが強くリンクしてしまい、撮影後もしばらくナツコが抜けなかったとインタビューでも答えている。
一方俊は、脚本執筆時に個人的な大きな喪失を経験した片山監督のパーソナルな部分が色濃く反映されていて、俊役の柳谷一成さんは、脚本を読んだ際に「主役のオファーを頂いたのはとても嬉しいが、この役は片山さん自身が演じた方が良いのではないか?」と安楽監督に相談していたという。最終的には予定通り柳谷さんが俊を演じることになったが、完成した作品を見返す度にシンドくなると語るほど俊になりきることは計り知れない重さがあったようだ。

当初撮影は2020年の夏に行われる予定であったが、コロナの影響で延期を余儀なくされて、半年後の冬に行われた。静かでどこか物悲しくも冬場に焚き火の近くにいるようなほのかに暖かさを感じる空気感は、この季節に撮影されたからこそ印象的なシーンに置き換えられたと実際に鑑賞してみて思った。

最後に。
ラストシーンは色んな意味で一見の価値あり(笑)
パンフレット1ページ目からネタバレしてるので、読むなら鑑賞後に!