ライアン孤独な海賊王

サーチライト-遊星散歩-のライアン孤独な海賊王のレビュー・感想・評価

サーチライト-遊星散歩-(2022年製作の映画)
5.0
MOOSICLAB2023のプログラムとして先行上映されたのが初鑑賞。
2023/10/14 本公開。


世間から目の届かない子供の貧困。
若年性認知症。
今後増え続けるヤングケアラー。
どこにも居場所がない学校。
甘い言葉で未成年を誘い搾取する汚い大人達。
etc…
現代日本が抱える様々な問題を内包しながら、父親に先立たれ、病気の母親を守るため、誰にも言えず1人孤独な戦いを強いられながらも必死に生きようともがき続ける1人の少女が歩む苛酷な青春を、重くなり過ぎずに瑞々しく切り取った傑作。


始まりは2019年MOOSICLAB
主催直井プロデューサーに脚本家の小野周子さんが直接脚本を持ち込み企画が立ち上がる。
主演を2019年ミスiDグランプリを受賞し芸能界入りした新人女優 中井友望 さんに託すことが決まってからの監督探しとなり、様々な候補の中から、自作のみならず数多くの邦画作品を助監督として支え豊富なキャリアのある平波亘監督に打診。これまで10代青春ものや家族映画を撮ったことがなかった平波監督は、新しい挑戦が出来る機会とこれを快諾。2021年の暮れからコロナによる一時中断を挟んで年明け2月まで撮影が行われた。

企画がスタートしてから脚本の小野周子さんと平波監督はミーティングを重ねながら、同時に小野さんは主演の中井友望さんに会うことなく、自ら中井友望さんの情報を集めて果歩を当て書きした。

脚本の推移をつぶさに見てきた中井友望さんは、このことについて「感情的な部分で果歩と自分にあまり差がなかったからやりたい。やれると思った」といい、「自分に近いキャラクターだからこそ、役を初めて客観的に見れた」とも語っている。平波亘監督は「中井さんはこちらが何も言わなくても佇まいが既に果歩だった」とキャラクターについて事前にディスカッションなどは行わなかったことをインタビューで明かしている。

このように、脚本家・監督・主演の3人が時間をかけて作り上げたキャラクター果歩は、他の作品のキャラクターにはない特異な存在感を発揮し、フィクションながら現代日本の闇を投影する稀有なリアルさを有することになる。


日本は一昔前の全体主義から移行し、個人を尊重する風潮になったことは社会的にも正しいと思う反面、「個人主義」や「自己責任」など全ての負担を個人に強いる傾向が顕著になっている。

この作品の主役である果歩は、まさにそういった世知辛い日本社会の中で、自分ではどうすることも出来ずに世間から見捨てられようとしている子供の象徴として描かれている。また果歩本人にその自覚があるからこそ、安易に共有出来ない自らの抱える苦しさを誰にも言えず、1人でもがいてなんとかしようとする。だが事は高校1年生の立場でどうにかなるものではなく、結果果歩は良心の呵責を振り払い、母と共に暮らす生活を維持することだけを願い、自らが犠牲となる道を選んでしまう。

そこに関わって来るのが果歩の通う高校のクラスメイト上野輝之。 5人兄弟妹の長男で、ファミレスと新聞配達のバイトをかけ持ちしながら家計を支えている。彼は一人娘の果歩とは違い、子だくさん家庭故の貧困に自分の夢さえ持てない日々を送っていた。

そんな彼が、新聞配達の途中、認知症の症状で真夜中に徘徊する母を必死に探すパジャマ姿の果歩と道ですれ違う。作品冒頭に描かれるこのシーンがきっかけとなり、輝之はそれまで特に親しくもなかった果歩に気にかけ、何かとお節介をするようになる。
(実は輝之が果歩を気にかけるようになる理由はもう1つあるのだが、それは作品を見てのお楽しみ)

最初はそんな輝之を訝しみ遠ざけようとする果歩だったが、学校で起こしたある事件がきっかけになり輝之に心を少しずつ開くようになっていく。
(ここらあたりまでの2人の変化していく関係性の描写がとても丁寧で好感が持てます)


2人で河原に「思い出作り」の花火をしに行くシーン。
果歩はそれまで誰にも話さなかった自分の抱える苦しい実情を輝之に話すのだが、輝之の反応が生返事だけなことに「他に言うことないのか!」とちょっと怒った風に真冬の川の水を手ですくい輝之にかけて、初めて本来の子供らしい笑顔を見せる。
(輝之は子供の立場ではどうしょうもない貧困の苦しさを知っているので、下手に励ましたり共感したりしても…と適切な言葉を見つけられなかっただけだろうけど)

それまでつるんでいたクラスメイトの女友達にさえ自分のことを話さなかった果歩が、口に出して「こうして欲しい」と他人に甘えた唯一の場面であり、その相手が「関わり始めたばかりの」輝之であることは、この作品が描こうとすることに直結する大事な部分であると感じた。

自分の悩みを多少なりとも共有できる相手に聞いてもらうことで、心が少し楽になることは誰にでも経験があると思う。
果歩のように1人では抱えきれない困難に直面している者にとって、そういう存在がどれほど救いになることか。
たとえこの後に何も変わらない現実が待っているとしても、今を立ち上がる気力さえ失いかけた時、遠くに見える一筋の灯りがどれほど頼りに力になるだろう。

作品タイトルでもある「サーチライト」は、行き先を見失いかけた全ての人達の道標であると同時に、それはいつ消えるともわからないという不安定な頼りなさを表している。

輝之と過ごしたつかの間の休息で果歩の心は僅かに軽くなるが、迷いながら足を踏み入れたコンカフェバイトの初めての客である東が金を手渡しながら吐露する心情に触れ、同情心から自分がしていることに対しての罪の意識までが薄らいでしまう。
輝之は果歩が学校で禁止されているコンカフェに出入りしていることをこの時点では知らず、果歩の心を癒したことが計らずも罪を重ねてでも母を守るという意識を果歩に与えてしまったことは、皮肉としか言いようがない。

しかし日を置かず輝之が生活保護のチラシを持って果歩の自宅に来た時、果歩の母親が裸足で飛び出してしまう場面に出くわしたことで、輝之は果歩が認知症の母の単独介護でどれ程苦しんでいるか、そして果歩が自らを犠牲に今の生活を維持しようとしていることを悟り、果歩を救うため一目散に走り出す。
(ここからクライマックスに向けて急激にスピード感を増していく)

人は他人と関わることで社会に参加し生活している。決して1人だけで生きていけるわけではない。中には理由なく他人に敵意を向けてくる人も居るが、多くの人は他人に無関心なだけで、苦しむ人がいれば即座に手を差し伸べる人だってまだ大勢居る。

この作品の中で描かれている「他人のお節介の必要性」は、誤った個人尊重主義が蔓延した今の日本の風潮とは真逆のベクトルを向いているのかもしれない。
「昔はよかった」と言うと年寄りの口癖と言われそうだが、しかし少なくとも今の時代より日本人は他人に対してとてもおおらかだった様に思う。隣近所のおじさんやおばさんが何気なしに気にかけてくれることの安心感。時に口煩さに閉口することもあるけど、それだってこちらを心配してくれてのこと。今思えばありがたい存在だった。
子供を家族だけじゃなく周りで育てるのが当たり前だった時代にはもう戻れないかもしれないけど、社会に置いてきぼりにされて苦しんでいる子供を見つけたら迷わず手を差し伸べる人が1人でも多く増えて、社会が救える体制をもっと簡単に使えるシステムにしていかなきゃ行けない。それが大人の役割だと思います。

他人との繋がりが薄っぺらくなってしまった今の日本だからこそ、「人と繋がることの大事さ」を描いたこの作品は見る価値がある。特にこれからを生きる若者たちに、サーチライトの照らす僅かな灯りが届いてくれたら嬉しい。もちろん普通の青春映画としてもコンパクトで気軽に楽しめる作品になってます。

【追記】
果歩の母親・貴子の認知症について。

劇中では認知症を患ってることだけしか示されていないのですが、その事で後半の貴子がみせる行動がご都合主義に見えると言った意見をSNSで拝見したので、若干補足します。

貴子の病気は『レビー小体型認知症』というもので、意識がはっきりしている状態とぼんやりしてる状態が波のように繰り返される症状が特徴で、一般によく知られている徐々に認知機能が衰えていく他の認知症とは若干異なるものです。症状が現れる時は記憶障害、判断力や理解力が低下したり、幻覚症状が表れたりしますが、症状がない時はごく普通に見えるため、病気だとは思われないことが多いとの事。
劇中明らかに言動がおかしなところと、果歩と普通に受け答えしているところが両方描かれているのは、そのような表に出なかった設定によるからです。

(このことを劇中で描けば観客の物語の理解度は上がるだろうけど、それでもあえて詳しく描かなかったのは、この物語が社会問題ではなく、あくまで果歩というどこにでもいる1人の少女の物語として完結したかったからだと、自分は理解しています)
【追記終わり】


最後にこの作品を彩る音楽について少し。

全ての楽曲と主題歌を提供した合田口洸さんは、劇中でもアコースティックギターを持った謎の男・四番さんとして度々登場していて、冬の河川敷で野宿していると思えば、河原で誰に聞かせることなく弾き語り、輝之のバイト先のファミレスに頻繁に入り浸りろくな注文もせずに寝こけてたり(座る席がいつも一緒なので四番さん笑)。

元々MOOSICLAB上映に合わせて出来た後付けキャラではあるのだけど、その特異な風貌が果歩の生きる世界の中ではなんの違和感もなく存在出来ていて、後半果歩が居なくなった母親を見つけるための重要なヒントを与える役割を担った役だったりする。
※MOOSICLABは音楽と映画の融合がテーマで、何らかの形で劇中に音楽を絡めることを縛りにしている企画である。

そんな合田口さんが作った主題歌である『アムネシア』は、劇中様々なアレンジで使われているが、どれも素晴らしい出来で、印象的なサビのメロディラインは1度聴くと耳に残り離れない名曲です。認知症になった果歩の母親の目線から書かれた歌詞が涙を誘います。
(タイトルである『アムネシア』は『記憶障害』という意味がある)

2023年の本公開に合わせ配信もされているので、作品を観て気に入ったらぜひ聴いてみてください。