アルチュール・アラリ
(落下の解剖学の脚本家)
小野田寛郎少尉
陸軍中野学校二俣分校(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)卒業
ここでは戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」という通常の教えとは正反対の「たとえ国賊の汚名を着ても どんな生き恥をさらしてでも生き延びよ」「できる限り生きて任務を遂行するのが中野魂である」という教えだった。
遊撃戦(ゲリラ戦)を展開し、破壊工作を遂行する目的で任務についた。1974年3月9日まで作戦を継続。大戦終結から29年を経て、フィリピン・ルバング島から帰還。戦後の日本への適応は困難であった。
仲間をだんだん失い、現地人の殺害も含め、地獄の29年間であった。鈴木という青年に見つけられ、最後は上官であるイッセー尾形の作戦停止命令により、帰還を決意。
もう1人のラストサムライかもしれない。