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ニトラム/NITRAMのcinecoroのレビュー・感想・評価

ニトラム/NITRAM(2021年製作の映画)
4.5
親は誰でも我が子が周りに馴染める様に、問題を起こさないことを望んでる。でもそれって自分のためだよね?ということを突きつけられるような思いでしんどかった。
終始本名を呼ばれないマーティンが抱える爆弾を、どうすれば地に埋めることができたのか誰にも分からないけど、ヘレンの様に彼に居場所を与える存在が必要だったことは明らかだ。彼に役割を与え、ピアノを教えて「これでピアノを弾けると言えるわね。」と言う。
母親は権威的に彼を押さえ込むことで自分を守り、父親は彼を理解しようとしたが彼より弱く小さき者になってしまったことで彼の暴力に負けてしまった。
この母親を理解のない親、と言ってしまうのは簡単だが、生まれた時から子どもと公共の場で共に過ごすのは圧倒的に母親で、外にいれば常に他人の評価に晒され続ける。まともな子育てしている?ちゃんと優しく接してるの?と。息子3歳くらいの時に癇癪を起こして手がつけられないほど泣いているのを前に呆然と立ち尽くしてたら通りすがりの小学生に「なんで抱っこしてあげないの?かわいそう!」と言われて泣きたくなったことあったなあ、ちくしょうめ!(脱線)
先の東京五輪の小山田圭吾氏の一連の騒ぎで、インクルーシブ教育という言葉がよく聞かれる様になったけど、障害児とそうでない子どもを分けすぎていることで自分たちとは違う種類の人間である、という偏見を生む要因になっているだろうし、公園にいても障害児を連れた家族をほとんど見たことがないことから、私たちの目が障害児とその家族を孤立させている原因の一部になっていることを自覚させられる。
また障害児、と一言に言っても程度の度合いは様々で、マーティンの様なあくまでグレーゾーン、今では発達障害と理解される様なひとたちの苦悩は実際に接していないとわかる術もない。
頭をよぎったのは山田洋次監督作「学校Ⅱ」(1996)で、当時の養護学校の生徒である自閉症のタカシ(吉岡秀隆)が社会学習の様なものでクリーニング工場で働いてバカにされ、先生に訴えるシーン。「俺もっとバカだったらよかったなあ、だってわかるんだ、自分でも。みんなが俺のことバカにするのがわかるんだよ、先生」より障害の重い友人を指して「ユウヤはいいなあバカで。自分がバカだって知らないんだろう?」というようなセリフがある。(未確認)どんなにがんばっても一緒にはなれない人たちにバカにされ続けるとどうなるか。自分を愛せないと同時に人の人生にも価値を置くことができなくなる。
マーティンが"僕はバカな子"と父親と笑い合うシーンは本編中で僅かに訪れる温もりの感じられる部分だが、この事を思うと胸が締め付けられる気持ちだった。
我が子であっても全てを愛情で受け入れることはとても困難で、良き指針を示していくのは常に体力がいることだ。誰にでも産んだ親や育てた人がいて、誰も自分の子どもが犯罪者になることなど望んでいない。
銃規制を訴える強いメッセージとともに、社会に隔絶されてしまうことの危険を痛切に感じた。
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの唯一無二の存在感が素晴らしく、恐らく入念に準備されたであろう体躯もマーティンの苛立ちを露わにして、大きな身体がとても頼りなく未熟なものに見えてすごかった。
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