ShotaOkumura

ニトラム/NITRAMのShotaOkumuraのレビュー・感想・評価

ニトラム/NITRAM(2021年製作の映画)
4.6
オーストラリアのタスマニア州ポートアーサーで35人もの死者を出した無差別殺人事件“ポートアーサー事件”をその犯人であるマーティン・ブライアントの視点で描いていく実録映画です。
素晴らしいとしか言いようがない映画でした。悪魔の所業を成した人物が一体どんな人物なのか、限りなく彼に寄り添いながらそのことを考えることはとても重要なことだろうと思いました。

あまりにショッキングな事件でもあるからなのか実際の殺害シーンなどは全く出てこない。
この物語はあくまで事件に至るまでのマーティン、通称”ニトラム”の生きている世界、その実存に迫ろうとする物語なのです。

マーティンは実際、知的障害と診断されていて(恐らく自閉症に近いのかな)同級生たちにはバカにされ無視され、MARTINの文字をひっくり返した名前“ニトラム”という蔑称で呼ばれている。なぜニトラムなのかは分からないけれど、劇中のセリフからどうやら“のろま”みたいな意味があるようです。
彼は自分を甘やかしてくれる父と、周りを気にし手のつけられないマーティンに呆れ果てている母との3人暮らしで、毎日とくにやることもなく、すでに絶望に満ちた退屈な毎日を送っている。

そんな全てから阻害され、拒まれ、誰とも関係していないかのような徹底的に閉塞的な世界の中で、彼にとって希望を抱くことができる重要な要素が2つ現れるのです。それは父が彼と共同で経営しようと約束した”海辺のロッジ”と唯一彼をありのまま受け止めてくれた“ヘレン”なのです。
しかし残酷なことにそのどちらもを突然失うことになる。本当に救いがないなと心臓が締め付けられました。

自分を愛していた父が夢見ていた海辺のロッジでの生活、女優を目指していたヘレンが夢見ていたロサンゼルスへの旅、どちらも実現することはなく、彼はまた永遠に閉ざされた世界へ戻ることになるのです。
もし母が彼の見る世界を見ることができたなら、と思うけれど、2人でパイを食べるシーンで母親は「あなたが何を言っているか分からない」と呟きます。そしてマーティンは「いいんだ」と言うのです。
どんなに血が繋がっていようと、2人は隔絶された世界に生きていることがここで示唆されています。

彼はサーフィンをするハンサムな男に憧れています。だからサーフボードを買い、波乗りにも挑戦します。しかしそれは上手くいきません。男のようにナンパも出来ません。まさにサーフィンはこの社会を上手く生きることのメタファーであり、サーファーの男は“こんな風に生きられたら”というマーティンが永遠に到達しそうもない自分の姿なのです。

このマーティンのような人物は何ら特別な人物ではなくて、こうした全てから拒絶され、宙吊りにされた実存の中で生きている人はこの社会に無数にいるんだろうと思います(もちろん他者からみれば全く違った世界に見えるでしょう)。
もちろん銃が簡単に買えてしまうことは問題ですが、しかしここにはもっと深くどうしようもないかのように思える問題が横たわっていて、この映画はそこにあるどうしようもなさを徹底的に描いているのです。

マーティンが切り裂いた絶望の世界は、どうしたら希望に変わっただろうか、そんな風に考えていくことがこの映画が我々に課している責務なのだと思います。
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