ケイレブランドリーがこれだけ評価されている意味が良くわかる。そこに確かに命を宿していた。
オーストラリア史上最悪の事件を起こした犯人の半生と事件に行き着くまでの過程を淡々とそして着実に描いていった作品。
主人公がどういう性格で、どんな環境下で育ってきたのかわかりやすく作品として良くまとめられていた。
決して同情などはないことは100も承知だろう。そうも知ってあえて思ったことをいうのならば親からの愛情は確かにあった。そして、彼の愛情も確かにあった。
親の彼に対する不安や戸惑いはこの作品を観ていたらよく伝わってくる。
それと同じくらい彼のどこか漠然とした不安や戸惑いも感じるのである。
なぜか同じ愛という方向に向いているはずなのにいつも掛け合わせがうまくいかないと歯車のようだ。
ただ彼の突発的で危険を承知しない性格が災いしてしまいある日、大きな過ちを犯してしまう。
主人公が同居していた(最愛)の友を自分の悪戯で亡くしてしまう。
ここで驚いたのは、彼は死に対して特に何かを感じるそぶりを見せなかったことだ。
最愛の友への気持ちは変わらずあるのに、それを亡くしたいま、涙ひとつ流さないのだ。
そして最愛の父を亡くした時も同じく。
それはとても印象的であった。
主人公の行動は誰にも読めない
どんな行動を取ってもおかしくない感じ。
だが、優しさはあった。
父への、母への、、
しかし、自分たちが抑圧されていくことに気づかされていく。もしくは過剰にそう捉えてしまっているだけかもしれない。
そして、その方向へ少しづつ圧が強まっていく。
主人公はそう感じていたのだろう。か?
彼は言動をうまく表現できないのかもしれない。そのように感じた。
全体的に夕暮れの景色が綺麗なシーンが続いていく。確かに景色は綺麗、キレイなのだがどんよりとした希望のない雰囲気が漂っている。画面では見えないが確かに感じるのである。それは不思議であり、その雰囲気が次々と確かなものとして変わっていくのである。