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MEMORIA メモリアのumisodachiのレビュー・感想・評価

MEMORIA メモリア(2021年製作の映画)
4.5
タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督作品。カンヌ映画祭審査員賞受賞。

イギリス人の農蘭家であるジェシカは、病気で入院中の姉妹のそばにいるためにコロンビアで駐在生活を送っている。彼女の悩みは夜明けに鳴り響く謎の轟音。音の謎を知るため、彼女は妹の夫に紹介された音響技師に会いに行く。さらに、病院でひょんなことから文化人類学者と知り合いになり、採掘現場から発掘された6000年間の少女の骨を触らせてもらう。そして採掘現場の近くで魚の鱗取りをしている男に出会い……。

あらすじを書いてはみたものの、なんのこっちゃ感がすごいね!あらすじなんてあってないようなものなので(というか、ない)、説明のしようがないのだ。

「謎の轟音の原因を探る」というボンヤリした核はあれども、場面は何の脈絡もなくあちこちに飛んでいく。おそらく時系列もバラバラなのだと思うが、説明がないので推し量ることしかできない。そして、ひとつひとつの描写が異様に長い。ただ座っているだけといったシーンでも平気で数十秒が費やされる。「え、それっておもしろいの?」と思うだろう。うん、面白い部分はひとつもない!でも、私は本作を夢中になって観た。実に豊かな映画体験だった。

冒頭で鳴り響く轟音、駐車場に止まった車たちが奏でるクラクションの合奏、病室の静寂に鳴り響くパイプ椅子の軋む音、カフェにいるときに取り巻く喧噪……本作では常に「音」が主役だ。すべてのシーンで「音」に意識が向くようになっているといっても過言ではなく、「音」の上澄みに時折響く、少しだけ違和感があるセリフ(記憶が違っていたり、相手との距離感がおかしかったり)が、ジェシカと観るものの認知を徐々に歪めていく。

「もしかして私は狂ってきているのか?」と感じるまでになるジェシカが最後に出会う男は、実に不思議な存在。彼との対話を通じて、ジェシカは記憶を想起する。ここにいたはずの記憶、それは何?そしてジェシカの前に現れる光景とは?

重要なのは、観客がジェシカと耳を共有するように仕向けられていること。最初に轟音を聞かせられた観客は、音響スタジオで彼女が「この音ではない」「ちょっと違う」と技師が作り出す音を吟味している間、一緒に「この音だったかな?ちょっと違うかな?」と記憶から音を引っ張り出して比べることになる。ジェシカと共に「音と記憶」を強引に結びつける動作を経験したことにより、その後もずっと観客はジェシカが聞く「音」に耳を傾けざるを得なくなる。こんなにも乗りづらく不親切なストーリー構成なのに、ジェシカと観客は自然と同じ位置から物語を旅することになるのだ。

ジェシカと一緒に観客が最終的に到達するのは、極めて観念的な次元だった。太古から続く過去と、遥かな遠い未来。地球の奥底にあるエネルギーと、それを受け取る私。私とあなたとの境界線。「音」が媒介となって、時間と空間が混然一体となってあらゆる境界が消えていく不思議な感覚。コロンビアの大自然も加わり、自分という存在がなにか大きなものに溶けていくかのような。私はいつしか、『メッセージ』に出てきた宇宙人の言語の概念を思い出していた。過去も未来もなく、すべての事象や意味を表すというあの言語。謎の音を発端として、哲学的・宇宙的な問いに一気に発展させていく手腕は見事だとしかいいようがない。

【以下、気になった要素を羅列。ネタバレといえばネタバレかな】











死んだはずなのに生きている男の話、消えた男と同じ名前を持つ男、なぜか扉の前に置かれていたベンチ(不自然すぎて笑った)、唐突に披露される詩、なんども繰り返される驟雨の音、すぐそばで起こる犯罪の気配、大地震を伝えるラジオ、妹が忘れていた犬の話、誰のものかわからない死亡証明書(妹のもの?)、消えた男のスタジオで見かけたセッション(とんでもなく素晴らしかった)、男がグイグイきすぎてドン引きするジェシカ、日本の話、6000年前の少女の骨、蘭のための冷蔵庫、「地球の中から鳴り響くような」あの音。
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