青乃雲

MEMORIA メモリアの青乃雲のレビュー・感想・評価

MEMORIA メモリア(2021年製作の映画)
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詩的な言語や修辞(レトリック)を用いず、散文としてのそれによって詩を書いたような印象があった。そのため、詩情はあっても詩にはなってなく、映画としての風情はあっても映画にはなっていない。

しかし、詩になっていないにも関わらず生まれる詩情、もしくは映画になっていないにも関わらず生まれた映画としての風情を思うとき、映画とは何か、もしくは映画が語ろうとする語りの領域について、どこか裏返すように心に残る作品でもあった。

映画とは、映像と音声という2つの要素によって成り立つ表現様式であり、この様式それ自身について語ろうとした作品は数多くある。いっぽう、うまくいった作品が少ない理由は、もちろんその困難さによるものであり、けれど、うまくいかなかったからこそ、その困難が雄弁に伝わってくるところもある。

記憶(Memoria)と題されたこの作品は、上記の映像と音声という2つの要素のうち、音声によって喚起されるものをモチーフとしている。作品全体に渡って、劇伴と呼ばれるBGM的なものはいっさい排されており、静けさに満ちた序盤から中盤にかけてと、ラストシーンに描かれる音響の洪水との対比が演出されている。

それは、どこかジョン・ケージ(1912 - 1992年)による『4'33”』(4分33秒)を思わせる演出手法であり、ほとんどがロング・ショット(背景のなかに人物が小さく収まる)で構成された映像と併せ、観客は映像よりも音声へと注意を誘導されることになる。

そのため、ラストで明かされる謎の音の正体それ自身に、ほとんど意味はない。その意味のなさによって、内容として何かを語ろうとした作品ではないことが明かされている。語ろうとしたのは、様式としての音声についてであり、その意味においては、ティルダ・スウィントン演じる主人公ジェシカの苦悶もまた、苦悶ではない。

★コロンビア(タイ)
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