[動き続ける父の肖像] 60点
2021年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。監督の実の父親をモデルにしているとされる(劇中では言及されないが)恐らく双極性障碍であろう、成功した画家ダミアンを描いた作品。冒頭から強烈で、レンタルボートで沖合に出たダミアンは、一人息子アミンをボートに残して海に飛び込み、"私は泳いで戻るから君は船を戻しておいてくれ"と言い放つ。しかし、アミンは困った表情を浮かべはするものの特に反発もせず先に浜辺に戻り、そこにいた母親レイラも"怖くなかった?"と普通に返していることから、これが日常風景であることが示唆される。ダミアンが飛び込むシーンを遠景で捕らえて瞬間的な絶望感を与えるのも良い。そして、中々戻ってこないダミアンをそわそわしながら待つレイラの姿を通して、本作品を貫く緊張感と恐怖が顔を見せ始める。ダミアンは何日も寝ずに躁状態のまま創作活動や料理や自転車の修理などを続け、周りの心配を蹴り飛ばして衝動的に行動し続け、レイラとアミンは彼を心配し、時に巻き込まれながらも彼を支えている。言うことを聴かないだけでレイラのこともアミンのことも愛しているダミアンだが、やはり行動は衝動的かつ非論理的だし、一部暴力的な側面もあるので、レイラも彼に強く接することが出来ず、冒頭の緊張感と恐怖がそのまま持続していくのだ。まるで、眠らないダミアンのように、実に90分近くに渡って。
残念ながら"天才と狂人は紙一重である"という決り文句を回避しようとした結果、ダミアンが画家であることを何一つ活かすことが出来ず、創作シーンでもひたすら顔ばかり撮るなどの別手段に逃げている点や、回避した結果躁鬱についてのクリシェをそのまま全部踏んでいく点など、新たな問題が発生してしまっている。ただ、後者に関しては、監督の父親をモデルにしていることも踏まえて、アミンの視点で本作品を観るとある程度解決はされる。夫婦の主導権争いはアミンの取り合いとして表面化していくため、問題の最前線に立ちながら、なんの解決策も講じることができない少年の目には、父親の衝動や母親の感情に二人の本質が投射されているようにも見えるだろう。問題の本質に全く近付かない(近付けない?)まま、その周りをぐるぐる周回しているだけなのも、そういった視点があるからに違いない。
本作品は製作途中でコロナ期間に突入したようで、画商が"ロックダウンも終わったことだし、客に直接絵を売るのはやめてくれ"という台詞や、マスクをせずに街のパン屋に入店して店員に咎められるシーンが登場する。マスクをしないやつ=ヤバいみたいな共通認識が新たなクリシェとして映画史に刻まれた瞬間だった。