[ある傷付いた少女の物語、或いはマリア・カラスの最期] 80点
傑作。2024年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。パブロ・ラライン長編11作目。『ジャッキー』『スペンサー』に続く"20世紀偉人女性"シリーズの三作目で、アンジェリーナ・ジョリーの女優復帰作。物語は1977年9月16日、マリア・カラスが亡くなるその日に周囲の人間が彼女の遺体を見つけるシーンに始まり、時間を少しだけ巻き戻して彼女の最期の一週間を辿り直していく。この頃の彼女はマンダラックスという薬の影響で頻繁に幻覚を観ており、映画はテレビクルーからインタビューを受けるという幻覚を基軸に、これまでの人生を振り返っていく構成を採用している。現在と過去、現実と幻覚の流麗な連なりは"意識の流れ"を視覚化したかのようでもあり、"信頼できない語り手"との相性の良さを再確認するなど。加えて、ある種のミュージカル、或いはオペラそのものとして歌や踊りが重要な位置に配置されているのも、幻覚や意識の流れの中に一切の違和感なく組み込まれており、音楽と人生が切り離せなくなり喜怒哀楽の全てと癒着してしまったマリア・カラスという人間そのものの複雑さを視覚化しているようでもあった(ちなみに、マリアが歌うシーンは何度も登場するが、実際の録音を使用しているとのこと)。そんな中で、マリアはかつての声を取り戻そうともがき苦しむ。それは歌によって始まり歌に導かれた人生を、自分のものとして取り戻すための絶望的な戦いに他ならない。しかも、歌から離れることで取り戻すわけではなく、呪いとすらなっている歌によって取り戻していくのだ。
マリアは腰の悪い忠実な執事フェルッチオと親切なメイドのブルーナを雇っており、この二人をピエルフランチェスコ・ファヴィーノとアルバ・ロルヴァケルが演じているのは流石に無駄遣いがすぎるというか、場違いすぎる感じも。ただ、この二人はマリアに無償の愛を提供する人物であり、それはマリアが常に求めていたものだったことを鑑みると、彼女の精神衛生上最も重要な人物たちと言えるだろう。自分を愛さなかった母親への恨みと、他者を支配下に置きたい浮気性なオナシスとの関係はエレクトラ・コンプレックス的というか、それでもマリアは母親を振り返らせたいようにオナシスを振り返らせようと追いかけるという不健康な関係だったので、余計になんでもない瞬間が切なかった。
マリア・カラスを診察する医者をヴァンサン・マケーニュが演じており、アンジェリーナ・ジョリーとヴァンサン・マケーニュが同じ画面にいるという奇妙な瞬間もあった。あと、マリアがオナシスと恋人だった関係でケネディ夫妻も登場する。ジャッキーは言及のみだが、JFKを演じたのは『ジャッキー』や他の映画でも度々JFKを演じるそっくりさんキャスパー・フィリップソンであり、ラライン・ユニバースが繋がってしまった。もしかすると、次はマリリン・モンロー?もう『ブロンド』があるから十分?