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わたしは最悪。の雑記猫のレビュー・感想・評価

わたしは最悪。(2021年製作の映画)
4.3
 人生の方向性が定まらない女性・ユリヤの、20代後半から30代前半の悲喜こもごもを描いた作品。どうしようもない人のどうしようもない精神性を丹念に解きほぐすことで、その中にある普遍的な悩みや葛藤を描き出した作品。


 本作の主人公・ユリヤは、継続して一つの仕事は続けられないわ、恋愛体質でカジュアルに浮気するわと、悪い人間ではないもののとにかく衝動的で困ったさんな人物。本作は、彼女の奔放でエキセントリックな振る舞いに「なんだコイツは......」と若干引きながら鑑賞することになる。しかし、彼女の生活の様々な場面がつぶさに切り取られることにより、親子関係や夫婦関係への違和感や、肉体的な女性性や子供を持つことへの忌避感など、彼女の中にある共感の余地のある悩みや葛藤が徐々に明らかになっていく。こういった丁寧な描写の積み重ねにより、ただの困った人に見えたユリヤに対して、いつの間にか「困った人だけど、アンタの気持ちも分かるよ」と感情が引っ張られていってしまう。これがこの作品の魅力であり、非常に優れた点である。


 作品の中盤のユリヤが恋人のアクセルに別れを告げるシーンが、この作品の術中にまんまとハマったことを実感できる名シーンになっている。別れようの一点張りのユリヤに対して、アクセルは戸惑いながらも極めて理性的論理的に対応する。しかし、これに対し、ユリヤは「そのロジカルに詰めてくるところが気に入らない」と激昂するのだ。客観的に見れば、どう考えてもアクセルの方の言い分に分があり、非常に気の毒な状況である。しかし、どうしたことか、このシーンが進むにつれ、理性ではアクセルが真っ当だと理解しているはずなのに、だんだんとアクセルに対してイライラする感情が湧いてきてしまう。ここまでの描写の積み重ねによって、奔放な困ったさん・ユリヤの心情にいつの間にかリンクさせられてしまっているのである。ヨアキム・トリアー監督の感情描写の勝利である。


 本作は、このどうにも捨て置けない困ったさんのユリヤの、生活の様々な一コマ一コマを丹念に敷き詰めたような作品である。それがゆえに、必然的に彼女を演じる主演のレナーテ・レインスベが出ずっぱりの作品となっている。奔放で衝動的な幼稚な面と、孤独感や人生への行き詰まり感といった成熟した面が同居する、ユリヤの複雑な人間性を体現するレナーテの演技は素晴らしく、この映画が絵的に最後まで息切れせずに持っているのはひとえに彼女のおかげである。作品時間が進むにつれて、なんとなくユリヤが老けていっているようにさえ見えてしまうのだから、大したものである。


 また、本作は風景描写も素晴らしい。舞台となるノルウェーのオスロのおしゃれな街並みは、ユリヤのモラトリアムからいつまでも抜け出せない幼稚で夢見がちな心象とよくマッチしている。人物を少し遠目から映すカットによって、この街の風景が効果的に機能している。また、色の使い方も印象的で、作中何回か印象的に使われている雲が赤く染まった夕焼けのシーンや、クライマックスの色付きガラスを通して映される街のシーンなどは、本作の白眉である。
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