2024年現在、世界中で「おにぎり」が流行っているそうで、この映画は先見の明があったなぁ、と思います。
でも、あの頃(2006年)は素手で握る時代だったね、と思わせる映画でもあります。
今やお弁当に詰めるお母さんお父さんたちですら、ラップを巻いたりしておにぎりを握りますもんね。
価値観は時と共に移りゆくもの。
原作は未読です。
この映画が大好きで、もう10回は見ているかも知れません。
特に、疲れたときに見ると良い、ぼくにとっては良質なサプリメントのような映画です。
静かにこの映画を見ていると、映画の持つゆったりとしたリズムと空気感が、自分の呼吸と心音にシンクロしていくような気がしてきます。
それでいてユーモアがあり、見ているぼくを惹きつけてやみません。
こんな独特の空気感が、荻上直子監督のパーソナリティだと思って、しばらく監督の作品を追いかけたことがありました。
中でも、この作品が出色でした。
人には歴史があります。
映画に登場する3人の女性たちにもそれぞれ事情がありますが、映画ではそれに触れません。
登場人物たちも触れようとしません。
他人を尊重し、自分は自分のペースで静かに丁寧に生きる。
フィンランドで「かもめ食堂」を開いたサチエ=小林聡美は、どこか達観したような人物です。
それでいて他人に優しく、ミドリのように見るからに悩みを抱えていそうな人を受け入れる懐の深さを持っています。
かといって頑固なわけでもありません。他者からの提案を受け入れるという柔軟性も併せ持つとても魅力的な女性です。
気になるシーンとセリフと人物が満載で、たぶんそれぞれにいろんなメタファーがあるのだと思います。
特に、キノコと猫のメタファーは誰だって引っかかりますよね。
マサコが森に行って採取した黄金に光るキノコを全部落としてしまいます。その後無くなった荷物が出てくるのですが、中に入っていたのは森で落としたはずの光るキノコでした。
そして、それからすぐに、猫を預かることになります。
ヒントは、「かもめ食堂」の中で交わされるマサコたちの会話から探ることができるかも知れません。
マサコが「この国の人はどうしてこんなにゆったりのんびりしているように見えるんでしょうか」とため息をつくように言うと、フィンランド人の常連客=トンミ・ヒルトネンが言いますー「モリ モリガアリマス(森があります)」
フィンランドには「自然享受権」という権利を定めた法律があるそうです。
森林は所有権にかかわらずみんなのものという思想が根幹にあり、誰でもいつでも好きなときに森に分け入って、そこに自生している植物ならば採取しても良いという法律なのだそうです。
だから、自然と調和してゆったりと生活を送ることができているように見えるのかも知れません。
それこそが人間として大切なモノではないかと問いかけられてるような気持ちになります。
こういった面倒なこととか解釈は、何度も見てからの話です。
多くを語らない主人公たちの移ろいを、肩肘を張らずに楽しみたいものです。