【信仰と釣り】
名優ロバート・レッドフォードが監督を務めた1992年のヒューマンドラマ作品。ブラッド・ピット×クレイグ・シェイファー共演。
〈あらすじ〉
1912年、モンタナ州の田舎町・ミズーラ。牧師の父を持つまじめな兄・ノーマンと、自由闊達な弟・ポールは対照的な兄弟であったが、フライ・フィッシングに共通の想いを募らせていく…。
〈所感〉
ドキュメンタリータッチで、モンタナの雄大で森閑とした景色そのままの静かな作品だが、すごく感じ入るものがあった。恐らく、まだ自分が若いので最後の最後のトンネルを抜けた先で本作の本当の良さを少し見失ってしまったような気がしてる。けれど、本作を20年後か30年後くらいに見返したら、ベストムービークラスのお気に入りの作品になるのではないかと既に予想が立つ。私はあまり経験がないのだが、個人的に釣りって何よりもカッコイイ趣味だと思っている。ただ、自分には色々な意味でまだ早いなと思ってしまうだけ。釣り人のおじさんの姿は退屈そうでもあり呑気にも見えなくもないが、一方で修行者のような真剣味が本質としてあるように思う。本作のクレイグ・シェイファーとブラッド・ピット演じる兄弟は、幼い頃から父に連れられて釣りに出かけ、自然と触れ合う行為=釣りをしていた。この行為が家族を家族以上のものとする触媒であったのだろう。彼らの父は牧師として皆を導く立場にあるため、厳格な性格であり、神を慕うのと同じように自然への畏敬の念を払いながら、釣りという生命を戴く行為を両立させている。非キリスト教徒からすると、それって少しグレーなものでは?と思ってしまうが、「わが家では宗教と釣りの間に垣根がなかった」という台詞があるように、それらは彼らにとっては寸分違わず不可分で結びついているものなのだろう。そうしてモンタナの自然に抱かれながらすくすくと成長していく兄弟だが、兄弟間で考え方や感じ方に相違が出てきて、勿論揉めることもある。実際、彼等は最後に分かり合えるまではなかなか気持ちが交わらなかったのでないか。しかし、釣りをしている時だけはそれがフラットになり、家族として団欒し、初心に戻ることができた。ラストは少し驚かされる展開だったが、ポールはいつまでも釣りを通じて、偉大な父や芸術家のように美しかったポールの姿を水面に認めるのだろうと思う。ここまで瑞々しく綺麗な映像で、文学性の強い自然讃美の作品は初めて見た。私はこれから先もっとこの作品の良さに迫ることができるように、人生という荒々しく厳しい川=現実に立ち向かう努力を怠らないようにしたい。ブラッド・ピットの代表作はこれではないの?というくらいにチャーミングでカッコ良すぎた。自然やブラピやヒューマンドラマが好きな方には非常にオススメの作品です!!
〈私的名言集〉
・わが家では宗教と釣りの間に垣根がなかった
・父はそこで魂を取り戻し想像の翼を広げる
・神のリズムを得て力と美を取り戻す
・作法の無い釣りは魚への侮辱
・世界はみずみずしく驚異と可能性に満ち溢れていた
・現実の厳しさにも敬意を払っていた
・川に魚はいくらでもいるのに
・理解はできなくてもただ愛することはできる
・すべてが消え私の魂や記憶と溶け合う
・川のせせらぎと四拍子のリズム
・魚が跳ねる希望と共に やがてすべては一つに溶け合い川がその中を流れる。大洪水で別れた川は時の始まりから岩の上を流れる。太古から雨に濡れている岩もその下には言葉がある。そのいくつかは彼らの言葉だ。私はその水面に見入る。