そーた

戦場のピアニストのそーたのレビュー・感想・評価

戦場のピアニスト(2002年製作の映画)
5.0
映画を見続ける理由

映画を見続ける理由があるとしたら、
そこから何かを感じ取って自分の人生にどうにか役立てたいから。

ただ、そこまで影響力のある映画には中々お目にかかれるものではありません。

でも、この映画は違いました。

音楽が言葉を持たないからこそ、
その表情が豊かになるのであれば、
同様に、
語らないことほど雄弁なんだと、
そう、思い知らされた映画。

これは決して反戦映画などではない。

一人のピアニストが、
時代に翻弄され、蹂躙され、
生き抜き、耐え抜いた、
過酷な半生。

ホロコーストを生き延びたシュピルマンのその経緯を、
淡々と無感情に近い手法で表現しているからこそ、
非戦闘民が戦争の一番の犠牲になっている事を嫌でも痛感できてしまう。

彼はただピアノが弾きたかっただけなのに。

誰を憎むわけでもなく、音楽を愛したシュピルマンが、無関係な戦争に否が応でも関わってしまうのは、
彼がユダヤ人だからという単純な理由。

その単純な理由のみで600万人近いユダヤ人が亡き者にされたのだから、
人類が負った罪は深い。 

当事者であるナチス・ドイツが一番の戦犯なんだろうけれど、
そう簡単に片付けてしまっては人類がまたも同じ轍をいつの日にか踏んでしまいそうで仕方がない。

この映画でナチスの暴虐を描いてはいるけれど、
それをただ単に非難の対象として描くわけではなく、
何て言えばいいんだろうか、
うーんと、ただ人間の所業として描いているという感じなのかな。

だから、戦争を悲観的にもドラマチックにも描かず、
美化という言葉は似つかわしくないんだけれど、
加工していないというか、
単なる無垢な現象の様に描いている。

戦争は無意味で、何も生み出すことのない、不必要なものだと言いたげで、
でもそれを直接には語らず、
シュピルマンの生きざまに間接的に語らせてしまうようだからこそ、
この映画は語らずしても大いに語っている。

人が狂気に身を投じ、
その狂気によって多くの人々が身を焼かれていった。

狂気の中で、何も語ることのないショパンの音色がただただ響きわたる。

こんな無のメッセージこそが本当の意味で実は反戦なのかもしれない。

でも、これは決して反戦映画などではないと、
シュピルマンのはにかんだ笑顔にそう感じさせられたのは、
この映画の良心なんだろうと思います。

この良心って、歯車が狂ったような現代にこそ持っていないといけない。

日々の生活の中で、
何かの形でそれを示していけるのなら。

誰しもが心の中で思っていることなんじゃないのかな。

僕にできるのは映画を見続けて肥やしにしていくこと。

動機は十分。
明日からも映画を見よう。
そーた

そーた