ねぇ神様、僕を全部使って。
正しく総集編でしたね。
前半に引き続き、シュールギャグパートがカットされて本筋がかなり整理され、追いやすくなってました。
加えて、ここ10年で得た知識の蓄積のおかげもあり、TVアニメをリアタイしていた頃よりも遥かに多くの演出を味わうことができました。
追加シーンも、アニメ最終話の分かりにくいところを上手く補完する内容になっていて、主題の理解がかなりしやすくなっていました。
そして、今回も楽曲の使いどころが本当に本当に上手い。
少年よ我に帰れの流れるタイミング、シビれるねぇ。
ちょうど今、様々な家族の形と行く末に関わるお仕事をしているので、「輪る」の意味にも色々と思うところがありました。
与えられなかったがゆえに抱えてしまう呪い、それから完全に逃れることは出来ないとしても、いつか何処かで、誰かがピングドラムを見つけられる、何者かになれるための助けになれたらなと思います。
この作品、銀河鉄道の夜に限らず、今見ると本当にいろいろな物語や信仰、歴史的事件の文脈が詰め込まれていますね。
そしてモチーフの使い方も本当に素晴らしい。
一番中核となっている、林檎と桃は、エデンの果実(原罪)の話と、断面の対になるシルエットがおそらくポイントなのでしょう。
「運命」という言葉の、逃れられぬ悲劇的な定めといった用法と、恋愛的なロマンチックな用法という二面性を反映しているようにも感じましたし、眞悧と桃果の対比構造にもなっているのかなと思います。
「運命の乗り換え」というのも、この2種類の運命の切替えのようなものかもしれません。
ペンギンについては、舞台挨拶で、「空を飛ぶための翼は持たずに産まれるけど、水中では空を飛ぶように泳ぐことができる」という、サンシャイン水族館の粋な展示方法にも反映されている特徴が、物語の主要人物達に重ねられるのではないか?というようなヒントが出されていたようですね。
この果実とか動物を使った暗喩的表現は、スタァライトのトマトとかキリンにも継承されているように思います。
他の小物1つ1つにも込められた意味がありそうなので、考察の終わりが見えませんね。
運命日記の表紙の2対のリュウグウノツカイの形は林檎の断面と似た模様になっている、とか。