nao

流浪の月のnaoのネタバレレビュー・内容・結末

流浪の月(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

いろんなことを思いすぎてなぐりがきメモ

2人の関係性の描き方が原作を読んで受けた印象よりも「男と女」に近いなと思った。
原作は性を超えて、互いが簡単に見せることのできない「ちがい」を受け止めあい、かつ何も知らない他者には信じてもらえることのない互いへのゆるぎない信頼で繋がりあっている印象で、もっとピュア・純粋・白・透明感というイメージだったけど、映像からは上のような関係性のエッセンスに加えて互いが性的行為・性的な関わりはしないけど互いを「男と女」として受け止め、求め、相手のためにできることをすべてしたいと思い合っている、という感じ。もっとエゴイスティックでどす黒いイメージ。それはそれで純なものがあるけども。
原作読んだ時は友達でも家族でもないけど親密な他者をどう名づけていいのかわからないし決める必要もないと思ったけど、映像をみたら「男と女」と受け取った自分の感覚も捉え直したいし

なんにしたって私がかなり原作の関係性を美化していたのかなあ、でも映像になると実際の人間世界にあるどうしようもなく複雑な渦だったんだと、思った。序盤の文と更紗が傘をさして渡る橋の下に見える濁流みたいな。

あとは原作を読んでから見た人と、映像だけ見てる人でそれぞれの人間の関係性やその心情の受け取り方がかなり変わりそう

あとは、「自分が自分の意思を通して生きる」というテーマが強調されてる気がした、だから自分の意思を通せない、周りに認めてもらえない、阻まれる、という場面で感情表現が強く出ていたような。

かなり見るのにエネルギーは使うけど、でもこれから何度も見返したいし、原作も読み直す

あと、ドライブマイカーにしてもこの作品にしても、他者の理解し合えなさや、相手をわかった気になることの恐さについて描いてる作品がこんなにも大きく世に出ていろんな人の目に触れてることがすっごいいいなと思う
「あの人は違う」じゃなくて、誰もが必ず違っていて、その些細な差異にどこまで目を向けるのか、その上でいかに理解しあおうとするのか、を自分ごとにして考えられる機会がもっといろんな人、いろんな場面に散らばっていてほしい、とめちゃめちゃいま思う。(って言ってる私は誰、と思ったけどまぎれもなく、その「いろいろな人」の渦中にいる一人)

あとは更紗のお父さんとお母さんの話についてもっとちゃんと描いてほしかったな、と思った。
更紗は更紗でいることがちゃんと肯定され応援される世界で過ごしていた経験を持ってるからこそ、文にとって光になり得た、ということ、その世界を失った状況でいとこに性的暴行を受けていたから文のもとに逃げたことをもっとちゃんと描かないと「自由奔放な女の子」と受け取られてしまいそうで、なんだかもったいないというか、せつないというか、そこまで描いてもらわないと、2人の関係性の澄み切った部分が伝わらない気がしてる。
ただ、文と一緒にピザ食べながら見た映画を『パプリカ』にしてたのは本当にすてき


----15分後記載
って思ったけど、うーんやっぱり「男と女」に近いわけではない気もしてきた。私が口についたケチャップを拭うシーンで違和感を感じてしまってひっくり返ってしまったところがあったかも。
私が感じた「男と女」ってなんなん、、、?はもうちょっと考えよう

------30分後
パンフレットの出演者・スタッフインタビュー読んだら「えっえっえっその解釈…!??」みたいなこともわりとあって、この作品がいかに多角的に受け取れるものなのかその幅と深さのバリエーションをすごく感じた。だし、原作者の人が受けた原作との違いについての話もすごい柔軟性があって、これから何度でも見返して自分の解釈を更新し続けていいんだ、と、なんだかホッとしてしまった。

あとは編集した方が原作未読らしく、原作と違う解釈や作品になる部分があるのはそれは自然なこと。ただ、原作が未読でもそこに流れてる「流浪の月」のエッセンスは紛れもなくそこにあることに制作の醍醐味を感じる
これは原作至上主義の作品ではなくて、原作と監督とスタッフと演者の解釈を奇跡みたいに重ね合わせてるんだなあ。
上映してるうちにもう一回行っちゃうかも
nao

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