🎬️生への渇望と命の本質
2019年_
環境破壊により、人類の大半は地球を離れて外宇宙の新天地に移住し、地上に残った人々は、高層ビルが立ち並ぶ環境の悪化した都市部で生活していた。
優れた体力と高度な知性を持ち、人間と見分けが付かないほど精巧に創られた人造人間「レプリカント」。
宇宙開発のため奴隷のように過酷な労働に従事させられていた彼らだが、何時しか感情が芽生え、しばしば反乱を起こして人間社会に紛れ込むようになる。
そんな彼等を「解任(=処刑)」するため結成された機関「ブレードランナー」。
捜査官デッカードは、脱走した最新レプリカントたちを追跡し、処刑してゆく。
だが、最後の対決の最中、彼らが地球に舞い戻って来た真の目的を知る事になる...。
リドリー・スコット監督により産み出されたその映像は、乱雑さと緻密さ、汚さと美麗さの相反するイメージが共存し、調和している。
本作以前のSF映画における未来世界は、その殆どが清潔で機械的なイメージで構築されていたが、本作では環境が汚染され、酸性雨のそぼ降る退廃的なイメージで構築した。
そこには、本作以降のグローバルスタンダードとなる程のパワーがあり、「後に」その映像美と世界観にやられる観客が続出するようになる。
加えて、シド・ミードの未来的で工学的な都市デザインやダグラス・トランブルの革新的VFX、ヴァンゲリスのシンセサイザによる無機質な楽曲も、大きく寄与していることは間違いない。
そしてラストシーンは、本バージョンのように、不安な要素を残したままいきなり終了の方が、作品の本質に合っていると思う。
本作はSFという形式を取っているが、「生命とは何か」について描いている映画だと思っている。
生命の定義を問い、「生」を渇望する「命」の本質について模索しているのではないだろうか?
革新的映像美と哲学的世界観。
この映画は、今では私の生涯で最高の映画と言える存在になっている。
~*~*~*~
ファイナル・カット:2007年バージョン
公開25周年を記念し、リドリー・スコット監督自身の総指揮で編集されたバージョン。
進歩したデジタル技術の導入により、高画質・高音質での視聴に合わせたクオリティになり、撮影・編集のミスによる矛盾や特殊効果シーンの変更・修正が行なわれた。
未公開シーンの追加もなされ、アイスホッケーマスクを着けて踊る女性ダンサーのシーンや、完全版でのみ見られた暴力シーンも復活した。またユニコーンのシーンも1ショット追加されている。
また、デッカードの同僚ガフが、ことある毎に彼の下に残す折り紙は、物語の本質を理解するほど重要性が増すガジェットであり、本バージョンでは特に大きな意味を持つ。
それら「鶏(臆病者)」「局部の大きな棒人間(惹かれる心)」「一角獣(儚さ・夢)」は場面場面でのデッカードの心情と状況を示唆・揶揄するもので、特に「一角獣」は"デッカードはレプリではないのか?"の議論の基となっている。
リドリー・スコット監督のこのような丹念な修正作業と執念によって、“ファイナル・カット”は『ブレードランナー』の「究極版」といえる仕上がりとなったのである。
2016/07/15
2016/09/28 バージョン情報を追記
2019/02/14 一部修正