中世物は結構苦手な方なんだけど、全然抵抗なく観れたのはなんでなんだろう。
羅生門型と評されている通り、同じ時間軸をそれぞれの視点で描く展開は羅生門よりも「桐島、部活辞めるってよ」の方が馴染みがある。
最初にカルージュの視点から物語を観ている時は彼が良いやつ、不運なやつ、男らしい。という印象だったのが他人の視点から見るとただの馬鹿で粗野な男にしか見えなくなる。これってほんとに自分の身の回りでも起きてることで、自己評価と他者からの評価や印象って全然違うんだってことを改めて心に刻んでこれから生きていきたい。
ルグリの件だって同じ。自分の記憶や印象なんて都合の良いように解釈するわけだから自分の理屈なんて全く見当違いなんてこと沢山あるわけだ。
この映画にある女性の生きづらさ等については私が語ることでもないと思うのであえて言及は避けてみる。